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神戸旅行(2001)
神戸
連休後半に神戸へ行って来ました。
1.ポートタワー
神戸港のメリケン波止場の近くには、ポートタワーが建っています。ここはかつてウルトラセブンとキングジョーが戦ったところです。実はメリケン波止場は震災で崩壊し今はメリケンパークとして周辺も整備されています。タワーが出来た頃(1962年完成)に、祖父のバイクに乗せられて行った時の記憶は、随分殺風景なところだったと。
タワーは籐の椅子のような優雅な形をしていますが、その足下は震災でも揺るがなかったしっかりした脚で支えられています。よく白鳥の水面下の足に例えられますが、こうしてみると遠目に女性的でも実は強固という象徴のようです。
2.パン屋
神戸的な場所というと今でも異人館を思い浮かべる人も多いでしょうか。実は僕は「風見鶏」(NHK朝のテレビ小説)を見るまでは行ったことが無く、父の実家から歩いても10分程の所に北野町があることを知りませんでした。親戚に聞いても、そんなの有ることは知ってるが特に意識したことはない、という程度。確かに子供の頃見せられても面白くなかったですし。今ではすっかり観光地になりました。
この写真は、北野より三宮側の教会を改装してパン屋さんになったところです。この「フロインドリーブ」は日本初のドイツパン屋だったはずです。本店は元町側のトアロードに面したところですが神戸山の手夫人御用達の店でした。教会のパン屋は数年前に開業し、”おしゃれ”な店で大賑わいでした。
付け加えると僕はパンが好物でよく食べていますが、特に神戸の食パン、それもドイツパンが好きです。横浜もパンのメッカですが、不幸にして神戸のパンを上回るものは食べていません。神戸の食パンは市中の店でも結構レベルが高いです。
女性客がほとんど。
3.阪神
阪神といえば一企業体のことを指すみたいですが、元々は地域名ですね。僕はもちろん一企業グループのことを言っています。(でも40年前までは大阪タイガースだった)
関西へ行くといつも寄るのは、大阪梅田にある阪神百貨店6階にあるタイガースショップ。と言っても見るだけで買うことは少ないのですが、今回はきてぃちゃんが阪神のユニフォームで登場でした。もっともこれで連敗が始まったという噂も。ちなみに新庄グッズ健在でした。


阪神百貨店の地下からは阪神電車が出ています。ゴールデンウイークは甲子園で連戦でしたから、阪神梅田駅は観客で盛況です。車内にははっぴを着た少年が。でも連敗続きでいいとこなしでした。


今回は3月にデビューしたての新車9300系が目当てでしたが、着くなり乗車することが出来て幸運でした(まだ一編成しか走っていない)。一方で従来車両が廃車になったり、地平駅舎が高架になったりして、子供の頃から好きだった阪神電車が無くなっていくようです。
阪急電車は野球でも阪神のライバルでしたが、ブルーウエーブとして再生し、いまや神戸の球団として認知されました。電車の方も企業規模としてははるかに大きく、かつてのライバル関係は無くなりました。変わらぬマルーン(茶色)の電車は六甲の山の手高級住宅地を走るブランドです。
ですが震災の痛手は阪神間の鉄道に大きくのしかかり、2複線を活用して早期復旧したJR西日本は今や並行私鉄を凌駕しています。おそらく関東の人が見たらうらやむだろう新型車両とスピードは、関東のセコハンしか走っていなかった「国鉄」のイメージを一新しました。阪神も阪急も生き残りを掛けてこれに対抗するため、策を練っています。新車もその現れです。
神戸の王子動物園は、屋外でジャイアントパンダやコアラが見られ、5月5日こどもの日は一般無料開放で混んでいました。阪急のヘッドマークもパンダです。
大阪ユニバーサルスタジオも盛況のようで、おしなべて活況の大阪、神戸でした。
以上、横浜人のくせに、なんとも神戸びいきのレポートでした。
2001年5月13日15日16日
2004.01.25 in 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (0)
舞岡2(2001)
舞岡2
前回の続きですが、今回は写真だけ。
前回の写真を撮ったときに見えた「真昼の虹」。
この日は異様に寒く、氷で出来た雲に反射した「虹」が見えた。太陽、月のまわりにかかる「暈(かさ)」はよく見かけるが、条件がよいと二重に見える。(広辞苑には「半径22度のものと46度のものがある」と書いてある。)位置から言ってその外側の暈であろうが、幅広の、美しい虹に見えた。
右側写真の下に見えるのは遊歩道にある水車です。

2001.4.22 舞岡小川アメニティにて
2001年5月11日
2004.01.25 in 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (0)
舞岡(2001)
舞岡
ちょっとご無沙汰です。何だかね、ちょい不調。ま、ここではのんびり行きたいのですが、折角の連休中に、なんにもないのではさみしいので、不定期連載として、現在の地元について書いてみましょう。
現住所は横浜市戸塚区南舞岡です。横浜にはもう40年(途中川崎にも行きましたが)住み続けてきましたが、この地は5年になります。もともと東戸塚(平戸)に住んでいましたが、今は思いの外、開発が進んで田圃や畑がマンションやデパートになっていますが、ここは、かつての東戸塚のような田圃や畑が残されています。
実はこの周辺は「舞岡ふるさと村」という横浜市のモデルプロジェクトに指定されています。鎌倉時代以降、鎌倉郡の一部として横浜市南部の「谷戸(やと、やつ)」というくぼ地には農村地帯が広がっていたのですが、その状態を保存する目的で自然公園の整備が進んでいます。東戸塚の地形も「清水谷戸」と呼ばれており、ここに似ていたわけです。所謂「横浜」の港は、明治以降に整備されたわけですから歴史的には短いわけで、横浜市南部は相模の国、鎌倉だった期間がずっと長かったのですね。
それはさておき、横浜地下鉄の「舞岡」駅から「舞岡公園」までの約2キロの道は遊歩道となっており、小川アメニティとして、これからの季節はめだかやおたまじゃくしが泳ぎ、それに接することが出来ます。途中水車もあり、田圃もあります。田圃はまだ水を引く前ですが。また農家も旧家があって、昨年までは藁葺き屋根の納屋が残っていましたが、今は取り壊されてしまいました。ここの鯉のぼりはうちの子供のお気に入りで、借景ならぬ借鯉のぼりです。

もちろん人工の小川で、もとの川筋の大半は地下水路に流れています。
ちょっと興ざめですかね。
2001年4月30日
2004.01.25 in 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (0)
鎌倉よた話(by Tujik)-4月15日(2001)
鎌倉よた話(by Tujik)-4月15日
鎌倉まつり最終日は、流鏑馬です。NHK大河ドラマが、鎌倉舞台だったのを忘れていましたが、その影響で凄い人出でした。子供連れは早々に退散しました。

鶴ヶ岡八幡宮ではぼたん園の牡丹が満開でした。

帰りに江ノ電のプラレールを子供に買ってやりました。

(弓を引くところには行けなかった)
2001年4月15日
2004.01.25 in 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (0)
桜咲く、桜散る(2001)
桜咲く、桜散る
うちの前のバス停から高校の桜が見えます。デジカメで朝、撮り続けた定点写真です。
今年の桜は開花直後の3月31日にみぞれが降って、心配しましたが気温が低く、長持ちしました。おかげで2週に渡り週末に花見が出来ました。ですが、4月7日以降、汗ばむくらいの暑さが続き、急激に散ってしまいました。

3月25日

4月2日

4月4日

4月8日

4月9日

4月13日
ところで花見桜としてはソメイヨシノが有名ですが、これは三省堂「大辞林」に以下のようにあります。
そめいよしの 【染井吉野】
サクラの一種。オオシマザクラとエドヒガンとの雑種。木の生長が早く、各地で栽植される。寿命は短い。春、葉に先立って開花し、花は淡紅色五弁。萼(ガク)・花柄・葉などに軟毛が多い。幕末の頃、江戸染井の植木屋から売り出されたのでこの名がある。吉野桜。
ということで、人が作った桜です。先日ニュースで京都清水寺の桜が出ていました。ここのソメイヨシノは戦後植林したものですが、山に鳥や虫がいなくなったそうです。ソメイヨシノは実を付けないからだそうです。そこで何年もかけて山桜に戻すとか。
昔の人が見た桜は違っていたのですね。
2001年4月14日
2004.01.25 in 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク | コメント (0)
春のたより(2001)
春のたより




2月25日の本牧三渓園です。観梅会の季節でしたが、まだ三分咲きでした。今週から満開なのではないでしょうか。
この日は横浜女子駅伝の日で、ちょうど本牧から国道16号方向がコースでして、間一髪その前に通過したのです。間門町側から正門へ行こうとしたのですが、満車で、本牧市民公園の駐車場に止めて、裏門から入りました。
かつてはここは本牧海岸に通じる道だったのですが、もうとうの昔に埋め立てられて、市民公園、コンビナートが出来ています。今は首都高の延長線が工事中で、本牧ランプが出来ていました。
プロ野球オープン戦も始まり、大リーグではイチローが早くも活躍。シンジョーは?
まだ寒い日が続きますが、春は近い・・・。
2001年3月3日
2004.01.24 in 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (0)
花柄iMac(2001)
花柄
初代iMacが誕生したのは、(日本では)1998年8月29日だった。
トランスルーセントと呼ばれる半透明の筐体は「アイス」と「ボンダイブルー」のツートンカラーで、注目を集めた。
しかし、iMacが話題になったのは、デザインだけでなく、性能に置いても、そのCPUに当時の上位機種に使われた「PoworPC750」(=G3)の233MHzを採用し、USB標準、15インチモニタ、24倍速CD-ROMなど機能的に優れたパソコンが斬新なコンパクトボディ(かつてのMacがそうだった)が178000円という、当時としては低価格で発売されたからである。
ボンダイブルーは深みのある青緑色で、部屋に置いたときのインテリア性も備えていた。
ストロベリー,ブルーベリー,タンジェリン,ライム,グレープ
次にいきなり5色の新iMacが出た。CPUのクロックは266MHzに上がったがそのことには全く触れない宣伝戦略が目新しかった。しかしボンダイブルーは僅か半年で姿を消した。5色のキャンディカラーは333MHz、400MHzDVDまで採用され続けた。その間、上位機種のグラファイトが追加され、姉妹機iBookもブルーベリー、タンジェリンが採用された。
2000年夏に出たのは、ほとんど仕様変更のない新色だった。これに先立ってiBookが仕様向上し、独自色キーライムを採用したが、iMacは地味な色になった。
ルビー,セージ,スノー
スノーってただの白と違うの?
そして2001年2月22日、幕張で発表になったのは・・・。
グラファイト,インディゴ
ぶちと花柄模様。

ブルーダルメシアン

フラワーパワー(似てない?)
iMacは、そのコンセプトが単純に便利で高性能が手間いらずで安価に、という部分が受けていると思うが、ここへきて日本では売り上げが激減しているらしい。その原因が色が飽きられたから、でないのだけは確かだと思う。iMacはAppleの収益源なのだが、今年はプロ機種に注力するとJobs氏から宣言があった。・・・。
ところで
もともとこの半透明(今の機種はほとんど透明になっている)の艶面筐体を大量生産できるのは、日本でも限られたモールド屋さんしかなく、素材も耐候性、強度を両立させたうえ、透明で美しい着色ができるのは限られる。相当な技術開発を伴ったはずだ。生産性も決して良くなく、柔らかい透明艶有り筐体は、成形時、搬送時、組立時、流通時の取り扱いが難しい。コストに跳ね返るはずだ。
そして今度は、
柄模様だ。Appleのアナウンスでは、これは印刷やデカールではなく成型時につけたものだという。商品性はともかく、この技術力はすごい。成型方法がいまひとつはっきり判らないが、一般的な多色成形はゲートが多数必要で、その継ぎ目は安定しないので隠すようにする。さらに割れやすい。それに対し、この柄模様は安定的に柄を成形できる技術を誇示している。(売れ残ったスノーにフィルム転写印刷ではないかと疑っているが)
2/25、実際に製品を見てみると、透明樹脂の裏側(または中にサンドイッチ?)に柄模様が見える。パーツの端手前で柄はとぎれ、5ミリ程度透明になっている。組立時のかみ合わせ凹部もきれいに柄が逃げている。裏面印刷は一般にもよく使われ、表面はモールドの光沢で一様に仕上がり、印刷もはげない。しかし、このパーツは筐体背面のほとんどを占め、内側は180度以上回り込んだ曲面なので型はスライド型という、複数に分離して抜くものである。従ってこの内面に転写印刷するのは大変困難である。柄模様が荒いメッシュ状になっているのも何かヒントかも知れないが、今のところAppleのいう「印刷やデカールではない」という意味がよく分からない。
Appleはこの技術開発に18ヶ月要したという。めまぐるしいパソコン業界では異例の長期だ。今回の新iMacの筐体設計は全くこの一年来と変わっていない。噂では17インチモニタ搭載の新デザインと言うことだったが。もしかしたら、この柄成形技術を見せるためにあえて設計変更を先送りしたのではないかなどと疑ってしまう。(一応断っておくがこの技術はAppleのものではないはずだ)
今年はマックワールドエクスポには行けなかった。(八重洲までは行ったのですが)
来年こそは新製品で大賑わいのマックワールドエクスポに行こうと思う。
2001年2月24日
25日書換追記(Appleのコメントを真に受けすぎ、おかしなことを書いてしまったため。店で見ると意外に花柄きれい;)
2004.01.24 in パソコン・インターネット | 固定リンク | コメント (0)
富士山(2001)
富士山
横浜戸塚近辺の旧東海道で、箱根に至るまでで最も標高の高い権太坂から境木、焼き餅坂、品濃坂までは東海道屈指の富士山展望地でありました。ここに長年育ったので富士山というものはどこでも見られるような気でいましたが、今の住まいからは簡単に見ることが出来ないので、たまに某会社の最上階から富士を見るとほっとします。
それはそれとして、風景写真としての富士山は、あまりにもありきたりなので逆に撮りづらいものです。

富士山周辺は富士箱根伊豆国立公園ですが、自衛隊演習場や工場、ゴルフ場など景勝地としての保全はほとんどされていないうえに、忍野村などの観光地でも観光客の増加に反比例するように景勝地が激減しています。上に出した以前お目にかけた茅葺き民家の写真は、1990年に撮ったものですが、今ではすぐ横に普通の建造物が建っており画になりません。
それでも、たまに富士山を見たくなるもので、先日、車中泊日帰りで山中湖、忍野へ行って来ました。日の出前に山中湖畔へ着くものの雲が多く富士が見えなかったのですが、日の出の頃になって朝日に染まった富士が姿を現しました。

この冬は、近年の中でも寒く雪も多い年ですので、山中湖も氷結が始まっていました。

18年前ワカサギ釣りに連れて行ってもらって以来久々に凍結した湖を見ました。

結局この日はこの後曇ってしまいました。
この写真はニコンF4で撮ったものです。氷点下の中で順調に動いてくれました。スポット測光で青空を計り、マニュアルで設定して、ケーブルレリーズで撮影しています。操作性、信頼性からいってもF4は良いカメラです。
間近に富士を見て、少し気持ちも晴れたような気がしました。
2001年2月20日
2004.01.24 in 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (0)
ぶれ補正レンズ(4)(2001)
ぶれ補正レンズ(4)
そして「手ぶれ」しか補正しないという仕様である。
僕は軽量三脚のように「ぶれ」やすい三脚の振動も補正するモードが必要だと思う。そうすることによって今は限られたユーザーにしか役立たない「手ぶれ補正」がもっと幅広く使われるようになると考える。
まず手ぶれ補正は、ユーザーがどの状況で使うことを想定しているかだが、具体的に考えてみたい。
一般に手ぶれの限界速度は1/焦点距離 秒といわれている。これを真に受けると、広角で1/30秒、標準で1/60秒、望遠で1/250秒あたりが考えられる。
ISO100で考えると、
快晴の日中、EV14=F8・1/250秒
昼の曇天、EV13=F5.6・1/250秒
朝夕方の日向、EV13-11=F5.6-2.8・1/250秒
朝夕方の日陰、EV10-8=F2.8-1.4・1/125秒
室内、EV6=F1.4・1/30秒
自分の記憶に頼った値なので、ちょっとあやしいがこんなものだろうか。
F4、1/250秒がEV12だから開放絞りがこのくらいのズームレンズでも屋外昼間の撮影ではほとんど手ぶれする事はない。ここから2-3段暗いときに手ぶれ補正が発揮されるのだから、EV9-10ということだが、それは朝夕方の日陰の条件で、それも日没までの1時間ほどという条件だ。しかし室内の撮影には足りない。
ほとんどの手ぶれ補正レンズが200ミリ以上の望遠レンズなのは、手ぶれ限界が1/500秒なので日中も手ぶれするおそれがあるからである。
しかし、300や400ミリの超望遠は使う機会は少ない。ユーザー別で言えば、スポーツ、レース、飛行機などだろう。鉄道、風景でも使うことはほとんど無い。これらのジャンルの写真は速いシャッター速度が必要なことが多いので、手ぶれしないだけでは困ることがおおい。作例でもよく見るのは、レーシングカーの流し撮りである。一脚に載せての撮影は、手ぶれに近い振動なのだろう、手ぶれ補正は有効なようだ。
このように今の手ぶれ補正レンズはスポーツマスコミ関係のプロ向け、という位置づけのようだ。特にキヤノンの超望遠レンズ群は全てがISになっており、ユーザー層の絞り込みと、画質への自信の現れである。だが。
何だか矛盾していないだろうか。カメラ込みで5キロもあるレンズを手持ちや一脚で使うユーザーは、スポーツマスコミプロであって、彼らは被写体ぶれも嫌う。だからこそ開放絞りの明るいレンズで高感度フィルムも使う。有効なのは流し撮りくらい。
ほとんどの人はそういう使い方はしないし、なにより僕は100万円を超えるレンズは買う予定はないから、興味がない。しかし手ぶれ補正の技術は使ってみたい。自分が撮影する状況下でぶれが問題になるのは、絞り込んでの風景撮影だ。
風景写真では、奥行きのある被写体が多いから、被写体深度を稼ぐため絞ることが多い。また開放絞りでは、周辺光量不足や球面収差、コマ収差などが大きく出るので、細密描写のために絞る。そしてフィルムの粒状性のために低感度フィルムを使う。従って日中の撮影であっても1/125-1/30秒のシャッター速度になる。ぶれやすい条件ばかりだ。
一方、登山など自分で荷物を担いでの移動が多いから、極力軽量な道具が欲しい。レンズは画質さえ良ければ開放絞りが多少暗くても、軽い方がよい。三脚も長時間露光のためには持つが、カメラと同等以上の重さが必要になるため、必需品とはいえおっくうだ。
三脚使用時のぶれ補正が出来ない技術的問題がセンサにあるのか制御にあるのか不明であるが、微振動が吸収できる柔構造の三脚?があれば手ぶれの振動に近くなるから、冗談ではなく「手ぶれ補正専用三脚」なんてあったらよいかも。
こう考えれば、風景写真に適した「ぶれ補正レンズ」は、その技術を投入する条件が揃っていることがわかる。
そこで僕が欲しいのは、
・無理のない倍率の高画質ズーム
・開放絞りはF4程度
・徹底的に軽量化=カーボン鏡筒などで、500g程度
・「手ぶれ」ではなく「ぶれ」補正=軽量三脚のぶれ補正モード付き
具体的スペックは
・24-70ミリ/F4(例えばAiAF-S VRニッコールズームED24-70/4D)
・70-200ミリ/F4(例えばAiAF-S VRマイクロニッコールズームED70-200/4D)(マイクロでなくても良いが)
これでどうだ。
このシステムならレンズが軽量なだけでなく、三脚も軽量化できるので、全体システムの重量が大きく軽減できることも重要だ。当然予算も軽減できる。
しかも一眼レフデジカメにつければ35-105、105-300ミリ相当になるのだ。
安い標準ズームは使ってみてろくな写りをしない。だがニッコール35-70/2.8を使ってみてわかった。きちんと作ればちゃんと出来るのに、やらないだけだ。今のレンズのラインナップは、開放絞りの明るいものは高画質、暗いものは安いだけ。でもレンズの重さや価格を考えると、それはユーザーが望んだことではないと思う。高画質標準ズームが開放絞りの明るいレンズだけというのは芸がない。最近キヤノンが70-210/F4Lを出したがこれなんて何でISではないのだろう。
「ぶれ補正」レンズは硬直化したレンズシステムを改革する可能性がある技術だと思う。
今の若者なんぞカメラの画質なんてわからんぞ。「写るんです」にプリクラ、ケータイデジカメだもん。画質にうるさくて、体力が落ちてきている中高年ユーザーはもう無視できない大きな購買層だ。何に使うか分からない高倍率ズームより、ぶれ補正高画質ズームでいこう。本当にこんなのが欲しいなあ。中高年ユーザーのなりかけとして;)
2001年1月23日
2004.01.24 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
ぶれ補正レンズ(3)(2001)
ぶれ補正レンズ(3)
世界初の手ぶれ補正カメラニコンズーム700VRは、38-105ミリズームであった。このカメラはコンパクトカメラの範疇だが、コンパクトとは名ばかりの大きなカメラであった。ニコンではこれと相前後してニコンミニという当時世界最小のコンパクトカメラをリリースしているから、700VRが大きくなったのは手ぶれ補正のためと言えよう(本当?)
このカメラで注目すべきは、初心者向けのカメラにこの世界初の技術を投入したことである。初心者が使う上に、シャッターストロークが深いコンパクトカメラは手ぶれを起こしやすい。確かに手ぶれ補正の頻度は高い。しかし。売れなかった。
初心者ほど手ぶれを起こしやすいし、その危険性も知らない。しかし、「ピンぼけ」は知っていても「手ぶれ」は知らないのが初心者だ。手ぶれもピンぼけと思われている。だから一所懸命、手ぶれ補正しても何がどうなったのかが分からないのだ。
むしろ、「ぶれ」を認識し、最もそれを恐れるのは写真を引き伸ばす可能性のあるプロ、ハイアマチュアだ。商品企画としては、このユーザー層にターゲットを絞るしかないだろう。
このユーザー層は、しかし、ジャンルが多岐に渡るうえ、画質にこだわる集団である。手ぶれに対する訓練もされているのでそれを上回る手ぶれ補正能力が要求される。
ぶれ補正は画質の向上のために存在する価値があると思うべきだ。
これは、AE、AFが初心者を対象に技術向上し、最後にプロに使われるようになったのと対照的だ。
「手ぶれ補正」が画質の向上のためにあるのならば、それを組み込むレンズもとことん画質が追求されるべきだ。そこで先述の「レンズシフトによる画質低下」が気になる。これが杞憂であれば申し訳ないが、仮にそうであったとしても、「手ぶれ補正レンズ」は画質優先のレンズスペックでなくてはならない。
手ぶれ補正がないとして、画質優先のレンズというと何を思い浮かべるだろう。普通は値段の高いレンズ、開放絞りの明るいレンズ、超望遠レンズが思い浮かぶだろう。実際の手ぶれ補正レンズのラインナップを見てみよう。
キヤノンのISレンズ
・75-300/4-5.6
・28-135/3.5-5.6
・100-400/4.5-5.6L
・300/4L
・300/2.8L
・400/2.8L
・500/4L
・600/4L
ニコンのVRレンズ
・ED80-400/4.5-5.6
前置きすると、本当に何も知らないから適当に言っているのだが、
ニコンは75-300、180/2.8、300/4は、他のレンズをDタイプにモデルチェンジする中、最後までモデルチェンジが遅れた。しかし300/4が超音波モータになったのは、VRレンズ発表後だった。また28-135のレンズはない。
この中で高画質レンズの印象があるのは、キヤノンの単焦点レンズ各種。100-400、80-400ズームは高級タイプであるLまたはEDを冠しているが、4-5倍の高倍率ズームであって、一般にもこの種のレンズでは2-3倍ズームの80-200などのレンズに比べると低画質の印象は免れない。
(未完)
2001年1月21日
2004.01.24 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
ぶれ補正レンズ(2)(2001)
ぶれ補正レンズ(2)
もうひとつ技術的疑問点として気になるのが、「手ぶれ」の意味である。「ぶれ」の原因にもいろいろあって、手ぶれ(撮影者のカメラホールディング揺れ)、ミラーショック、シャッターショック、風、地面の振動(車、人の振動)などである。これだけぶれの原因があるにもかかわらず、「手ぶれ」というにはわけがある。
「アサヒカメラ」2001年1月号の「ニコン手ぶれ補正レンズ開発者に聞く」記事中に開発の苦労話として「・・・レリーズ時のミラーのアップダウンの衝撃とか、AF駆動の振動、さらには音というのも振動になるんですね。それらのノイズをジャイロが拾ってしまって、・・・」との発言がある。これはつまり、ジャイロで拾う振動の内、「手ぶれ」の振動周波数(おそらく他の振動より低周波)より高周波成分をカットしていることを示している。
なぜ「ぶれ」の原因である振動を全て拾ってはいけないのか、知らないが、もし自分が設計するとしたら、ジャイロセンサの検出能力、角速度演算時間、補正シフトレンズの駆動時間、停止時のレンズの振動吸収などの遅延時間に苦労することになりそうだ。特に高周波成分は、シャッター速度が1/60秒以下になる手ぶれしやすい条件では、露光中に何度か往復運動することになるので、補正用シフトレンズの駆動が難しい。
「ぶれ」に定義もいろいろで、ジャイロセンサは角速度センサであるから回転方向のぶれしか分からない。もっとも上下左右のぶれは数ミリ程度なら全く影響がないので、角度で十分だ。
先に挙げた手ぶれ以外のぶれが顕著に現れるのは、三脚に付けた状態だ。手持ちの場合、手のひらで意外と吸収される。従って「手ぶれ補正レンズ」は、手ぶれしか補正しないレンズと考えた方がよいだろう。
(未完)
2001年1月20日
2004.01.24 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
ぶれ補正レンズ(1)(2001)
ぶれ補正レンズ(1)
ニコンから「手ぶれ補正レンズ」AiAF VRズームニッコールED80-400mmF4.5-5.6、230000円が発売になった。(VR=Vibration Reduction)ようやく、やっと、おくればせながら、という接頭語をつけてよいくらい待たされた。
「手ぶれ補正レンズ」といえばキヤノンがすでに5年前に商品化しISレンズとしてシリーズ化されている。(IS=Image Stabilizer)はじめの一本は75-300mmF4.5-5.6USM、88000円であった。標準ズームから超望遠までラインナップされ、定評もある。
ところがビデオカメラではなく、スチルカメラの手ぶれ補正はニコンが世界初でコンパクトカメラ(といってもちっともコンパクトではないが)「ズーム700VR」を1994年に発売していたのだ。だからすでに量産技術がありながらなかなか交換レンズを出さないニコンはどうしたのだろうと思っていたのだった。
なぜ僕がこの技術を気にしていたかというと、僕は某社入社面接の際、自分の考えるカメラの将来技術として、ぶれ補正の話をしていたからだ。当然自分がやるつもりで話していたのだが、携わることが出来なかった技術なので気になるのだ。
ここでは、現在僕の考えるこの種のレンズに関する技術的疑問点と、商品企画面の疑問点を提示しておきたい。
さて、キヤノンとニコンの二社が出すこのレンズは、技術的にそう大きな違いは無く、ニコン700VRで採用した中間レンズシフトによる光軸ずらしの方式である。センサは角速度センサ(ジャイロ)を採用している。
実はスチルカメラよりも前にビデオカメラで手ぶれ補正搭載機はキヤノンの技術でソニーから商品化されていたが、このときはレンズの前に「バリアングルプリズム」という平面ガラス二枚の隙間に光学液体(シリコンオイル)を入れ、平面ガラスの一方を傾け、これによって光軸をずらす方式だった。これだとプリズムを介するので、色収差が起きる。
これよりもレンズシフト方式のほうが優れているようだ。しかし、ニコンのVRズームの場合、レンズシフト量は2ミリにもなるという。一般にこういった偏芯したレンズは、光学性能を悪化させる。当然設計者は、出来るだけ光学性能を落とさずぶれ補正の可能なシフトレンズを光学系に挿入しているのだが、これと普通の光学系のどちらが光学性能が良いかという問題だ。手ぶれの像劣化のほうが、レンズシフトの劣化よりも大きいから効果があるのだ、という論理は成り立つが、では例えば補正をオフにして通常レンズとして使う場合はどうであろうか。
シフトレンズの機械的精度の問題もある。ボイスコイルモータで動かす為に相当軽く動くはずだがその制御精度、光軸中心への復帰、レンズの傾き抑制、様々な精度問題が「動く」ことにより生じる。ピント合わせについても同様な問題が起きるが、光軸方向の動きなのでまだましである(?)。
レンズシフトに問題がないように作られていると分かっていても、特に天体望遠鏡光学系の芯出しをいい加減にすると、いかに見栄が落ちるかを身をもって体験しているので、俄には信じられないだけなのだが。
そして、僕が技術的疑問点として、(本来ぶれ補正制御が一番新しい技術であるのに)光学性能にこだわるのは、このレンズの商品企画に大きな影響を与えると考えているからである。
2001年1月20日
2004.01.24 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
2001年1月17日に思ったこと
2001年1月17日に思ったこと
もし神戸に地震が起きていなかったらどう変わっていただろう。町並みは以前のごとく、戦前の日本家屋とマンション、プレハブの混在であっただろう。その取り合わせの妙はそれを意識しなければ見落としていただろうし、僕は写真にも撮らなかっただろう。それでも徐々に世代交代が進み日本家屋は減っていっただろう。
阪神電車はもともと予定されていた新車5500系の新造が進み、急行系の新車も出ていたかもしれない。でも経営方針が保守的だから、直通特急は無かったかもしれない。一方明治時代からの駅舎や線路がもっと残っていたかもしれない。新車の塗装も従来通り、僕の好きな色のままだったかも知れない。
だが,
もっともっと多くの神戸人がいっぱい元気でいたはずだ。6000の神戸人が一瞬にしていなくなってしまった。最近は神戸弁も目立たなくなってきたが、それでも流暢な神戸弁というものは大阪弁とも違うものだ。その神戸弁を話す6000もの人々が居なくなった。そして、残された神戸人一人一人の心に大きな傷跡が残ることが無かった。本当にそれは大小に関わらず全ての神戸人に残った傷跡だ。
もし地震が無かったら、それがもっとも重要な違いだろう。
町は復興し、復旧はしなかった。人も。復興のほうが前進するから良いのだと言う人がいる。僕はそう思わない。元々いた人を除外するような復興ならいらない。もし可能ならば全てが復旧してほしかった。町も人も。
2001年1月18日
2004.01.24 in 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク | コメント (0)
21世紀(2001)
21世紀
新年おめでとうございます。
*******************
あえて「21世紀」というマスコミだけが騒いで実感が湧かない表題にしたのは、逆に言うと21世紀に対する期待がとても大きかったから。
21世紀と言えば、鉄腕アトムだし、エアカーやロボットが町に溢れていなければならなかったからだ。手塚治虫は、漫画の中で21世紀になってもヒゲオヤジやシブガキが下町に住んだり下駄を履いたりしているのは読者が取っつきにくくなるからだと言っていたが、現実にその頃から比べて大きく未来化した部分と全く変わっていない部分、むしろ逆行した部分があり、手塚治虫の予言は正しかった。
逆行した部分の最大箇所は人間の心の荒廃だ。年末年始の事件の数々。理由もなく奪われる命。発狂した新成人。今は「世紀末」ではない。
若者を取り上げるときマスコミは「突出した」人間でなく「まともな」人間ばかりを取り上げて、世の中の平均若者像がこうであると情報操作して欲しいくらいだ。ここ10年のテレビドラマに、いかにホームドラマが少なく、「異常な」ドラマが増えたか。
科学は人間の心を豊かにするものではない、という。しかし科学は人の感情を操作する物質も解明したし、遺伝子操作が可能にもなった。間違えるととんでもないことになるところまで来ている。「自由」なままでは人間はどこまでも暴走するだけなのか。それでも「独裁者」は必要ないのだ。
21世紀は実はこれから100年ある。焦ってはいけない。しかし手遅れにならない内に。
********************
新年から随分多くの方に見ていただいています。何か新年らしい一言を、と思っている内に正月が終わってしまいました。そしたらいきなり暗い話ですみません。いい題材がなかったものですから焦るばかりで。
ですけど、今年もよろしくお願いします。
2001年1月8日
2004.01.24 in 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク | コメント (0)
カメラのファインダー 2(2000)
カメラのファインダー 2
今日で正月休みですが、前回の続き
レンジファインダーのカメラはライカM3で完成して最盛期を迎えた。1955-60年の頃である。この頃には交換レンズも充実してきたが、同時にレンジファインダーカメラの欠点も見えてきた。最も大きかったのが報道に多く使われるようになった135ミリ以上の望遠レンズだった。以下のような問題点が上げられる。
・レンジファインダー=距離計が撮影レンズによらず基線長、三角測量の原理で二角夾辺から三角形の高さを求める場合、その辺の長さが大きいほど精度が高いがその長さが一定であるため、望遠レンズでは距離計精度が不足する。
・撮影範囲がレンズ焦点距離により変化するが、その範囲を示す枠も、レンズにより変化する必要が出てきた。ライカM3は複数の焦点距離枠を自動切り替えし、完成形と言われた。ニコンSPなども同様の機能を持つようになった。しかしレンズの種類が増えてもその枠は変わらないので厳密なフレーミングが出来なかった。
一方、一眼レフカメラが省みられるようになったのは、レンズを通した像が直接見えるので多種のレンズにも全てに対応できるシステム発展性が見込まれたからである。前回指摘した欠点について技術的改善が図られたのもこの時期である。
1.「ファインダーが(磨りガラスで)暗い」
=コンデンサーレンズを入れて明るくした。さらに磨りガラスを規則性凹凸のマットに変えた。
2.「左右逆像(ビューカメラは上下も逆)である」
=ペンタプリズムを置き、上下左右正像でアイレベルになった。
3.「絞るとファインダーが暗くなる」
=シャッター動作時にだけ絞り込まれる、自動絞り機構を入れた。
4.「撮影時にファインダーが見えない」
=シャッター動作中のみミラーが上がり、すぐに戻る、クイックリターンミラー。
5.「撮影姿勢が悪い(猫背という意味ではなく;)」
=これもペンタプリズムでアイレベルに。またファインダーを交換することでウエストレベルや高倍率にもなる。
また距離計はマット焦点板にマイクロプリズムや上下像合致プリズムなどの組み合わせで精度向上を図り、特に望遠レンズではレンジファインダー以上の精度をえられるようになった。
以上がレンジファインダーカメラから一眼レフカメラに移行した1960年頃の動勢である。日本ではペンタックスを皮切りにズノー、トプコンが次々に新技術を導入していき、1959年ニコンFが発売されると、レンズシステムの豊富さから一気に一眼レフカメラ大国に変貌した。
今、僕は一眼レフカメラを愛用していますが、何よりファインダーで実際のピントが見えるのがありがたい。のですが、フィルム面と、ファインダー面はあくまで等価の位置に調整されたものですから狂っていることもあります。ファインダースクリーン(焦点板)交換可能なカメラを見ると分かるのですが、この重要な焦点板もバネで片側に押しつけて保持しているだけです。精度上は充分ですが、座面に異物が挟まったり傷を付けたりしないよう気を付けなくては行けません。さらに最近ではAFセンサーで測距するのですから、大変です。最近のAF一眼レフカメラはファインダー像ではピントが良く見えないカメラが多いのはそのずれを見えなくすることでもあるでしょうが、やはり高級機はその辺の精度が充分高いので安心感があります。
また、巻き上げ速度の向上は、秒8コマとかいうものは一般には不要かと思われますが、上記のクイックリターンミラーの動きを素早くすることになるため、像消失時間が非常に短くてすみます。これはAFの精度向上にも繋がっています。ですから巻き上げの速いことは一こま撮影でも意味があるのです。
何より高速高精度AFはピント合わせの手間から撮影者が解放され、動体では従来では考えられなかった超望遠での高速連続撮影が可能になりました。レンズの性能も引き出し、写真表現にも影響を与えています。
このようにファインダー形式の改革以降も、AFや高速巻き上げも含めてファインダー性能の向上につながっており、僕はこれを高く評価します。ですから過去のレンジファインダーカメラが復権することはないと思いますし、それでカメラの性能が止まって良いとは思いません。
同時に今の一眼レフカメラもこれで十分などとは思いません。カタログスペックはこれで十分とは思いますが特に中級以下のクラスはもう一度カメラの本質に立ち返った性能向上が必要です。
僕が近い将来注目したいのは、デジカメに見られる液晶ファインダーです。これと光学ズームファインダーの組み合わせはデジカメの主流ですが、レンズ交換式デジカメは一眼レフカメラと同じミラーとペンタプリズムが入っています。僕はレンズ交換式デジカメもライカのような高品質の透過ファインダーと、今よりも高細密な液晶ファインダーを採用してもらいたいと思っています。液晶はこの先の技術革新で充分見やすいものになれば一眼レフファインダーの欠点を補えるものになるでしょう。こうなったときに一眼レフデジカメは必要なくなり、レンズもレンジファインダーカメラのような小型な広角レンズを作ることが出来ます。
また銀塩カメラにも液晶ファインダーを搭載してついでにCCDも300万画素くらい搭載し、銀塩とデジタルのハイブリッドにできるのではないでしょうか。
とまあ、こんな夢を見たわけですが現実の21世紀はどうなるでしょうか。何より写すに値する風景が今後も存続することを願って。
では、皆さん良い21世紀をお迎え下さい。
2000年12月28日
2004.01.24 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
カメラのファインダー 1(2000)
カメラのファインダー 1
この時期、忘年会も多くなにかと慌ただしいですが皆さんいかがでしょう。僕もなんだかんだとありますが、例年この時期に大学で所属した写真部の写真展があって、同じくOB会もあるので、一年またはそれ以上会っていなかった人との再会(いま最下位って出たのが悲しい)が楽しみです。年々来る人も減って、僕と同年代の人は限られるようになってしまいました。
でも僕より3年上で某カメラメーカーのカメラ担当者にカメラのことでからむのも面白いです。しかし中でも濃いのは、ライカ、ローライを使う人でニコンもFMは持っているがそれ以外はカメラではないといっています。
僕の周りにも実はライカな人はいて、ハッセルブラッドと併せてそれ以外カメラではないという信念?があるので、どちらも使っていない人間にとっては話を聞くのもいい加減いやになる時もあるくらいうるさいです。
では何故ライカなのか。
そもそも35ミリフィルムは元々映画用フィルムでこれを小型スチルカメラ用に使ったのがライカで、今でもライカ判という人もいます・・・なんて話はするつもりもないしそんなことを知っていたところでなんなの?っていう方ですので、今回はカメラのファインダーの話でも。
カメラの種類も色々あるが、レンズ交換式のカメラと言えば一眼レフカメラ(a single‐lens reflex camera)とライカと最近ライカ互換のレトロ調カメラで有名なレンジファインダーカメラ=距離計連動カメラ(a range finder camera)などが上げられる。ところがこれらの名称はファインダー形式であって、従ってレンズ固定式の一眼レフやレンジファインダーも存在するのだが、ともかく代表的カメラ形式の名称がファインダーで定義されていることは案外見落とされている。そのくらいファインダーはカメラにとって重要な機構である。何故なら露出や焦点(ピント)は標準化自動化できても、ファインダーによって決まる構図は撮影者の意思を写真に込める最も基本的な部分だからである。ファインダーの見栄が写真を左右すると行っても過言ではない。
こんな話は簡単にしたいが歴史的に見ると、一眼レフカメラはカメラの創世記から存在する。が、それは今見られるような一眼レフではなく、フィルム面の手前に上45度方向へ反射するミラーがありその上にある磨りガラスでピントを合わせるウエストレベルと分類される、上から覗くタイプだった。撮影時には当然ミラーを跳ね上げるからファインダーは見えない。この頃の主流、暗幕をかぶり、磨りガラスとフィルムバックを交換して使うビューカメラなど今でも残っているが、この二つは
1.「ファインダーが(磨りガラスで)暗い」
2.「左右逆像(ビューカメラは上下も逆)である」
3.「絞るとファインダーが暗くなる」
という共通欠点を持っており、一眼レフは特に
4.「撮影時にファインダーが見えない」(ビューカメラもフィルムバックに交換するので見えない)
5.「撮影姿勢が悪い(猫背という意味ではなく;)」
などの欠点があった。いずれも被写体との違和感、撮影思考の中断を伴うものであり、フィルム感度が高まり、カメラに速写性が要求されるようになると大きな問題になった。
ここからカメラファインダーの改善が始まった。
最も単純なのが透過型ファインダーをビューカメラに付けたもので、現在のAFコンパクトカメラはすべてこの流れである。この透過型ファインダーには撮影範囲を示す「枠」がある。
さらにこれだけではピントが見えないので、レンジ(距離計)ファインダーを組み込んだ。これがレンジファインダーカメラだ。最初はファインダーが二眼、透過ファインダーとレンジファインダーが並んでいたのだが(ライカの初期はこれ)、すぐに一眼ファインダー、透過ファインダーの中央に距離計(二重像合致)を重ねて表示するタイプになった。レンジファインダーカメラの主流となって今も多くはこの形式である。これはすなわちライカの歴史でもあった。ちなみにライカはカメラ名であって、社名はライツだったが、いまでは社名もライカになって、測量機、顕微鏡などのEU光学会社グループになった。
以下次号?
この忙しい時期にこんなややこしいのを書き始めて後悔しているけど忙しいからやっちゃうんだよなあ。;) 年(世紀!)越さないように。
2000年12月24日
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阪神か新庄か(2000)
阪神か新庄か
別に一選手の動向で何が変わるわけでもないが、やはりプロフェッショナルを自認するならそれなりの実力と華を持っている選手が何人いるかでその球団の魅力が決まるわけで、その意味では今回の新庄選手の大リーグ、メッツ入りは複雑な心境だ。
新庄はなんだかんだ言われながらも今シーズンはよく働いたと思うし、オールスターのような場での活躍や、ゴールデングラブ賞は華を感じる選手であった。伝え聞くところ、今回の年棒は大リーグ最低保障限度額のようだし、成績次第では解雇も自由というような不利な契約条件らしい。あの!阪神の5年12億や横浜、ヤクルトの条件を蹴ってそれを選択したのだから、新庄のあの外見からは想像できないくらい純真な思いからの決断だと思う。ここは素直に頑張ってくれ、と言いたい。
でもそう言いながら愚痴ると、日米野球で見せた全力プレーはすべてメッツに見せるためだったんだな。打率4割だって。シーズン中もそうはできんかったものかね。
しかし新庄にとって阪神という環境は劣悪だったと言うことなのだろうか。気になる台詞に「僕が4番を打つのではなく、7番くらいで打たせるような球団でなくてはだめだ」みたいな発言があった。やはり今シーズンは新庄の4番に頼るしかない打線だったからな。拒人の4番のプレッシャーは相当なものとよく言われるが、阪神の4番も相当に違いない。特に阪神の場合、周りが打たないから負け試合の時の4番の責任は巨人以上に風当たりが強い。何たって4番が打たなくてもその前後2,3人は他球団の4番打者を揃えることが出来る拒人軍とは偉い違いだ。人によったら阪神のような球団であればすぐに4番になれて大将になれるから、嬉しいということもあるだろう。清原みたいなのはFAのときに横縞にしなくたって阪神に来れば良かったのにね。
しかし問題は来季の打順だ。まだ名前の覚えとらん外人頼みになるだろうが、中日に喜んで戻った大豊もいないから、本当に誰もおらんぞ。野村監督は「これが阪神の打順か?というくらいがらっと変わった打順を組む」ようなことを先日言っていたが、逆に言うとそう言うことしかできんということだ。
打線だけじゃない。先発ピッチャーだって湯舟無き今、何人いるというのか。中継ぎ、抑えも補強は出来ないし、完全復活ならなかった田村、与田ももういない。昨年オフは「あの選手とあの選手が復調すればこんなに勝てるぞ」なんて皮算用だけでも出来たが今年はそれすら出来ないぞ。
こうなると野村監督の采配に期待するしかないが、これでは拒人と逆の意味で、阪神なのか別の球団なのかわからなくなっちまうな。今まで名の知れなかった選手が出てきて急に勝ち始めたら楽しいし、それが本当のプロってもんだが・・・。
阪神って僕の 知っている会社 の状況と未来を予見しているみたいだな。;)
それでも阪神タイガースを来年だけはまだ応援しようと思っているのであります。
2000年12月13日
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蒸気機関車と鉄道趣味(2000)
蒸気機関車と鉄道趣味
表題に出したのをお気づきでしょうが、先日秩父鉄道の蒸気機関車に乗ってきました。熊谷まで新幹線で行き、そこから秩父鉄道のSL列車「パレオエクスプレス」に乗り換え、岩畳、川下りで有名な長瀞へ行って来ました。肝心の長瀞は紅葉が全然だめで、今年は紅葉せずに枯れてしまったらしく、また岩畳も期待したほどのスケールではなく拍子抜けでしたので、蒸気機関車がメインの旅行となってしまいました。
秩父鉄道の蒸気機関車はC58、ローカル線を走った旧国鉄の機関車を動体保存したものです。テンダー型蒸気機関車の中では小型の形式ですが、秩父鉄道のようなローカル線にはよく似合います。

ところで皆さん、蒸気機関車の牽く列車に乗ったことはありますか。実は僕は初めてでして、もちろん家族も初めてだったのですが、珍しさもあって窓を開け、汽笛や煙の匂いを楽しみました。ですが乗っている分にはゆっくり走る普通の列車でして、やはり蒸気機関車の良さは外から見るのがよいようです。

「踏切注意」の標識も汽車から電車に変わったように、今や汽車は博物館で見るようなものですが、「トーマス」や「やえもん」などのおもちゃや絵本で子供も蒸気機関車は相変わらず人気です。でも実在の蒸気機関車はやはり別物で真っ黒な図体が子供には怖く見えることもあるようです。

鉄道趣味の世界ではやはり蒸気機関車は最高のものとされていますが、世代によりその感じ方は違います。年配者はSL廃止の前(1975年以前)の若い頃に追い続けた蒸気機関車の懐かしさが最高のものとされ、今走っているのは、そのころの記憶を呼び起こすものとは言え、それ以上のものではないのです。
SL廃止後のファンはノスタルジックな機械としての魅力を蒸気機関車に感じるものの懐かしいものではない。すでに以降の世代の中でも、「ブルートレイン」世代、「新幹線」世代などに分かれていてひとかたまりではないのですが、やはり年配者から見るとリアルタイムの蒸気を知らない世代として「本当の」鉄道ファンとは思えないようです。
で、僕はどうかと言いますと、ちょうどその中間世代なのです。鉄道を趣味として自覚した中学生の頃には雑誌に盛んに廃止目前の蒸気が載っていましたが、自力で撮影に行くことが出来なかったので(カメラもないし)、やっと大学で自由に旅行できるようになる頃には蒸気はなかったのです。このHPにもありますように阪神電車を見続けた変わり者ですので、蒸気世代も知っている分、鉄道趣味に対しては劣等感のようなものを持っています。
ですが今回乗ってみて、レールのジョイント音を聞いていると、僕は蒸気だろうが電気だろうが、ともかく鉄道が好きだなあと思った次第です。その血は着実に子孫に受け継がれているようで;)よろこばしいことです;)
2000年12月2日
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CMネタ(2000)
CMネタ
みかかドコモのCM、良いですねえ。スーパージェッター、ウルトラ警備隊モロボシダン、アンヌ、サンダーバード、サイボーグ009での各通信シーンと携帯電話の使用シーンを重ねて、あのころの未来の実現を唱ったCMです。あれと携帯はちょっと違うんだけど、と思いましたが、でもリストバンド型PHSやデジカメは明らかにウルトラ警備隊のビデオレシーバーを意識して商品企画されているし、ホンダの二足歩行ロボットにもアトムの姿が重なって見られるように、我々の世代が実現しようとしているのは子供の頃の夢なのかもしれません。
僕はスーパージェッターのタイムストッパーが欲しいなあ。もっともこれは持ち主以外は時間が止まっても分からないですが。
キリンだったか?の21世紀ビールのCMは見た人は少ないかもしれませんが黒部進(ウルトラマン-ハヤタ)、森次浩司(ウルトラセブン-モロボシダン)、団次郎(帰ってきたウルトラマン-郷秀樹)が乾杯をしているシーンとその空の上で篠田三郎(ウルトラマンタロウ-何だっけ?東光太郎だったかな?)が笑うというCMですが、ここで着ている衣装を含め、ウルトラマンタロウでウルトラ兄弟が一同に会したシーンの再現なのです。(元の放送を見た記憶はないですが)このCMは、ウルトラマンの着ぐるみも何も出ないので、普通の人にはさっぱり分からんと思いますが、30-40のマニア層にはバカ受けのCMです。何でもBGMの作曲まで冬木透(ウルトラシリーズ音楽担当)だそうです。
ご覧になったら誰かに自慢してみては?
2000年11月21日
2004.01.24 in 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク | コメント (0)
Shouting photo(2000)
Shouting photo
---------写真だって、歌う、叫ぶ----------
2000年11月4日
2004.01.24 in 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク | コメント (0)
コンピュータとApple-2(2000)
コンピュータとApple-2
(続)
マッキントッシュSEは、CPUがどうとか言う以前にやたら絵の多い白地の白黒画面が当時の他のコンピュータとは全く違うものだった。貧弱な絵(アイコン)であるが、それがファイルだったりハードディスクだったり見通しの良い構造のパソコンであることはよく分かった。(GUIという言葉は知らなかった)しかしそれでも僕は手を出さなかった。結局やれることはワープロなどにゲーム。ハイパーカードというHTMLの祖先のようなツールは、電動紙芝居を自分で作れる程度の理解だったが興味はあった。それにしても白黒の小さな画面では如何ともしがたい。しかも50万以上する。それでも随分安くなったとか。彼も僕と同じく趣味に生きようということか?かっこいいぞ、Y氏。(本人希望により追記)
が、このリンゴマークは頭に残った。
じつはこの頃(1990年頃)になると、パソコンを使って自分のやりたいことが出てきた。趣味である写真の整理とそれを利用した画像処理だ。業務用であるがパソコンで扱えるフィルムスキャナがニコンから出てきた。「フォトショップ」という画像ソフトも出てきた。いずれもマッキントッシュ用であり、しかもフルカラー1677万色も扱える。これは今まで暗室があっても難しかったカラープリント現像ができるかもしれないのだ。しかし、それでも当時は数百万もする夢物語であった。
マッキントッシュ2シリーズはそれまでのSEとかプラスというコンパクトなオールインワンではなく、普通のDOS系のパソコンのようにセパレート型であった。このシリーズは以降のマッキントッシュの標準になるのだが、ビデオカード次第でフルカラー環境になるので、カラーが欲しい人はそちらを選択するしかなかった。その中でも2cx、ciはコンパクトな筐体で他機種とは一線を画していた。本当はコンパクト一体型の方がデザインは良かったのだが。
1991年、アップルは低価格化路線をとり、クラッシック(コンパクトマックを低価格化した)を始め手頃な?(それでも30万以上)価格の新型が出て、旧型の価格がぐっと下がった。ディスコンとなった2cxの下落は激しく、100万が40万になった。数人がこれを購入し、見せてもらった。なかでも先述のSE所有氏のフルカラーグラフィック+ビデオキャプチャボードの入った2cxは僕にとって長年夢見た機能が入ったパソコンだった。会社で見る8色や16色の画面表示のパソコンではなく、これは「Mac」だった。
ついに僕はパソコンではなくマックを買うことになった。

今向かっているマックは秋色をしたiMacである。コンパクトマックに対する羨望の思いはiMacが発表されたときによみがえったのである。世間ではiMacやCubeの華やかなCMとは裏腹にアップル株の暴落を始め、マッキントッシュの将来を危ぶむ声も多い。でも9年前、286CPU全盛の頃に、マックの世界ではすでに「Photoshop」があった。僕のなかではパソコンが必要なのではなく写真などの趣味を実現する道具、カメラのような、が必要なのであった。今ならWindowsでも「Photoshop」が動き、フィルムスキャナも付く。それどころか以前はマックが席巻していた音楽関係も含め遊びの機能も充実してきた。
道具だ、と言いながらこの9年間を思うと、DOSのころは仕事に使うパソコンだと言っておきながら、Windowsでバキュームカーのようになんでも吸い込んで拡大してきたマイクロソフトよりも、早いうちから「遊び」も重視してきたアップルMacintoshの方に思い入れがある。しかしOSはウインドウズもマックも大きく切り替わる時期に来ている。一時期マックを作っていたソニーからバイオの新型が出たが、このようにもっと遊び道具としての機能を充実して欲しい。「遊び道具」「おもちゃ」は世の中でも最も優れた使いやすい道具である。仕事用だからと言っている道具にはろくなものがない。
ほら、結局パソコンの話にはならなかったでしょう。
2000年11月5日
2004.01.24 in パソコン・インターネット | 固定リンク | コメント (0)
コンピュータとApple-1(2000)
コンピュータとApple-1
僕はコンピュータのことは良く知らない。だからそういう話題はこの場のように自分の興味本位に書いた文で扱うと、詳しい皆さんには判りきったことか間違ったことしか書けないのではないかと思い、避けている。でも専門的な話ではなくて、自分の履歴を通して書けばちょっとは皆さんに見せても面白いことが書けるかな。
僕がコンピュータに接したのは1981年にシャープのポケットコンピュータPC1211を買ったのが最初だ。学校演習課題のエンジン設計計算の繰り返し計算をさせて、最初は幾晩かかっても解けなかった計算が、ものの30分で解けてしまった(もっともプログラム作成、バグ捕りに数日かかったが)のに感激したものだった。PC1211はカシオのP502と双璧のプログラム電卓だったが、これは簡易ベーシック言語であったから面白かった。研究室の当時は贅沢な16bitCPUパソコンで卒論用の5管ピトー管から空気の流速と三次元方向を求めるプログラムもベーシックで書けたので、共同研究相手に騒音中での実験を7割方まかせても少しは役に立ったと思う。
しかし当時から友人の中にはNECPC8001を購入して、その中身から理解していたものもいたが買うにはあまりに高価だった。ただ高価だったからパソコンに手を出さなかっただけではない。MS-DOSの世界になって一太郎やロータス1-2-3のようなソフトを扱うことやそのOSに精通してパソコンの中身に入っていくことに興味を見出せなくなったのである。
正直なところ、今でも同じなのだが、機械のギミックのように手で触れるものや、絵や写真のように目で見えるものでないと実感が湧かないし、数値計算もプログラムを作った実感やその利用目的の手段であって、そのものには興味が湧かない。このことは大学進学時に理学部か工学部かで悩んだところで、自分のように興味の湧かないものには始めから手を出さない人間では、数式を根気よく解くことはできないと自覚し結論した。実はそうなると自分は理系人間ではないのだとも言えるのだが・・・。
で、一旦興味が無くなると、悪い癖で、寄りつかなくなってどんどん取り残される。さらに悪いことに本人はそう思っていないのだ。所詮ワープロや表計算なんて文房具の一つでしかない。そこにマッキントッシュが現れた。僕はアップルコンピュータが世界初のパソコンメーカーだとは知らなかったし、当時はキヤノンが扱っている馬鹿高いコンピュータでしかなかった。こともあろうに友人の一人がこの馬鹿高いコンピュータを、しかも白黒9インチ画面の小さなコンピュータを買ったのである。でもそれはコンピュータではなかった。
(未完)
2000年11月3日
2004.01.24 in パソコン・インターネット | 固定リンク | コメント (0)
特撮ヒロイン-3(2000)
特撮ヒロイン-3
GUTS レナ隊員

吉本多香美
1973年生まれ。黒部進(ハヤタ役)の実子。TBS系「世界ふしぎ発見」レポーター役などを経て女優へ。
その後もテレビドラマ「らせん」の主役だったりしたが、映画の風俗嬢役やヌード写真集などでまたびっくり。今もバライティ、クイズ番組に出演。
出演番組
ウルトラマンティガ(1996-97)
所属
TPC(地球平和連合)極東本部特捜チームGUTS
作品中でのレナ隊員
第一話「光を継ぐもの」(ゴルザ、メルバ)でまだ武装前のガッツウイングを操縦するのは、主人公のダイゴを従えたレナ。レナはGUTS生え抜きのトップガンである。一方のダイゴは車両部あがりの苦労人。という設定なので事件があれば必ず飛び出してゆくのが女性隊員であるレナなのである。三十年経つと変わるものだ。
ちょっとした青春もののような雰囲気で展開し、九話「怪獣を待つ少女」(マキーナ)で、出動した車の中で、折角のドライブもダイゴとじゃねえ、とか言っているが異星人サキにダイゴが世話を焼くと、しっかり妬いてくれる。
十二話「深海からのSOS」で唐突に水着を披露。年をとった往年のファンにもサービス。三十五話「眠りの乙女」では宇宙人に憑依されタンクトップで登場。オジサンは嬉しい。
四十六話「いざ鎌倉!」(タラバン)では江ノ電鎌倉高校前でVサイン。極楽寺では怪獣に遭遇!
五十話「もっと高く!」(ゾイガー)では最終回前にダイゴ=ティガと悟り、シリーズ初のラブシーンかと思いきや隊長からの通信が。でも五十二話最終回「輝けるものたちへ」(ガタノゾーア)で、人間に戻ったダイゴと恋愛成就。これもシリーズ初。何とその後「ウルトラマンダイナ」では結婚後の二人が子連れで出てくる。近日発売のビデオでは二人の子供が「ティガ」になるという「ジュニア」のプロットが三十年経過して復活。
どうですか。結構重要な役どころがおおいのですよ。他にも「帰ってきたウルトラマン」のアキちゃん(榊原ルミ)とか「ウルトラマンA」の南夕子は合体変身、「ウルトラマン80」では石田エリ(役は知らない)が出たりしていました。後年の戦隊ものでは女性の変身キャラも入っていますが、やっぱり女性隊員は見守り役が良いなあ。;)
ところで
使ったイラストは全てオリジナルです。下絵にデジカメ写真を使ったりしましたが顔の表情など全て変えてあります。フジ隊員なんか巨大化して操られているときの映像なのでぼーっとしてたし、アンヌもキウラソ星人に操られているときのだし、レナはダイゴに怒っているときのだし。すべてタブレット(ワコムアートパッド)で直接書いたものです。ペンタッチの出せる「アートダブラー」で書き、色は「フォトショップ」のエアブラシです。
厳密には肖像権、著作権に問題がありそうですが漫画やイラストを見せたい人はなかなかインターネットに出しにくいですね。こういうのが特技の人はつらいなあ。
最後に意味があるかは知らないが、一応 まるC 円谷プロ ということで。
2000年10月14日(鉄道記念日 関係ないけど)
2004.01.23 in 特撮・ウルトラ・漫画 | 固定リンク | コメント (0)
特撮ヒロイン-2(2000)
特撮ヒロイン-2
ウルトラ警備隊 友里アンヌ隊員

菱見百合子(ひし見ゆり子)
1947年生まれ。東宝映画女優。ハスキーボイスで演技は下手だったが、長年特撮ヒロインの第一番手だった。
しかし土曜夜にやっていた「プレイガール」に出たり、ヌード写真が出たりとびっくり。ウルトラ系女優はこのパターンが多い。(男優は悪役)
出演番組
ウルトラセブン(1967-68)
所属
地球防衛軍極東基地 ウルトラ警備隊 メディカルセンター看護婦兼務
作品中でのアンヌ隊員
第一話「姿なき挑戦者」(クール星人)からいきなり初対面のダンにあなたの地球がピンチだからなんとかならないのとせまったり、二話「緑の恐怖」(ワイアール星人)でも私も行くわ、と勝手にダンに同行したりと、フジ隊員と違い積極的。八話「狙われた街」(メトロン星人)で死んだ叔父が「友里」だったので友里アンヌというのが”定説”だが、作品中でもそう呼ばれることはなく不明。しかもこの回は勝手に作品世界をゆがめてしまう実相寺監督の回なのであてにならない。脚本は金城なのだが。
その後もダンと行動することが多いアンヌだが、四十二話「ノンマルトの使者」(ノンマルト)でダンと海水浴、水着を披露。話は原地球人ノンマルトと侵略者・人間との葛藤という重たいテーマだが。
有名なのは四十九話最終回「史上最大の侵略」(パンドン)でダンの告白に、ダンはダン、たとえウルトラセブンでも、と言い放つ。聞きようによってはセブンも妖怪も一緒だ。
ともかく子供番組で当時としては最高のラブストーリーを演じた。
なお、後年「ウルトラマンレオ」でアンヌも宇宙人だったというエピソードがあるが、あれはなかったことに、というのがウルトラファンの”定説”だ。
(続く)
2004.01.23 in 特撮・ウルトラ・漫画 | 固定リンク | コメント (0)
特撮ヒロイン-1(2000)
特撮ヒロイン
何かあぶない題だな;)
特撮ヒーローと言えば、ウルトラマンとかモロボシダンとかですね。当然主人公なわけですから注目されて当然なのですが、科学特捜隊のような組織にいる女性隊員も(正しい意味で)注目されます。子供番組とは言え、女性(隊員)が魅力的であるほど、物語も深みが出てくるものです。ウルトラシリーズでも女性隊員の印象度で番組の人気度も左右されるものです。(根拠無し;)
今回は正しく;特撮ヒロインを評価したいと思います。それに値するのは3人しかいないと思います。(異論もあるでしょうが、僕の好みで;)
特撮ヒロイン-1

科学特捜隊 フジアキコ隊員
桜井浩子
1946年生まれ。東宝映画女優で子役であったが、17歳で「ウルトラQ」レギュラー江戸川由利子役として円谷作品に。ウルトラ以降はウルトラでも監督だった実相寺作品に出演。ポルノ系だったので僕は見ていないが、それ以後、僕は実相寺が嫌いになった。
出演番組
ウルトラマン(1966-67)
所属
国際科学警察機構極東日本支部 科学特捜隊 通信担当
作品中でのフジアキコ隊員
ウルトラシリーズ全般に言えることだが、脚本家が複数人いるので作品世界が必ずしも統一されず話によって少しずつ性格が違ったりしている。しかし初期の作品は、円谷プロ文芸部長金城哲夫により、全ての脚本に目を光らせ、設定の狂いを是正していた。しかしそれでも放送が進むにつれ、設定が変化している。
フジアキコ隊員は通信担当であるが、第一話「ウルトラ作戦第一号」から実戦に出てジェットビートルを操縦している。行方不明のハヤタの安否を気遣い泣いたりしていて、たぶんに恋愛関係を示唆した演出であった。が、あまりに色気がない?ということでこの設定は早々にボツ。三話「科特隊出撃せよ」(ネロンガ)、四話「大爆発五秒前」(ラゴン)で準主役級の活躍を見せるも、その後あまり活躍が無く、後半は三十三話「禁じられた言葉」(メフィラス星人)で、巨大化して町を破壊し、三十四話「空の贈り物」(スカイドン)では魚眼レンズで撮られたりと、大切に扱われなかった。
イデ隊員との絡みが面白く、お嬢さん的な雰囲気でいながら、つっこみもこなす役柄だった。
なお、「ウルトラセブン」の元設定は「ウルトラジュニア(?)」でハヤタとフジの息子が主人公だった!(帰ってきたウルトラマンでも初期設定案でそんな話もあったとか)
(続く)
2004.01.23 in 特撮・ウルトラ・漫画 | 固定リンク | コメント (0)
デジカメ比較実験!-3(2000)
3.ピント、解像度、コントラスト
最後に最もピンときやすい;)、ピントについてです。
コンシューマー向けデジカメは一般的に銀塩コンパクトカメラの延長上にあるものです。一般にコンパクトカメラではピントが甘くなります。それはTTLでない(撮影レンズを通さない)AFセンサと貧弱な駆動系から来る問題です。デジカメではCCD画像を使って、ビデオカメラのようなAFをするのでTTLと言って良いのですが原理上コントラスト検出方式なので曖昧なパターンに合わない欠点もあります。しかしまず問題なのはCCDの小ささから来るレンズ焦点距離の短さです。
990のレンズ焦点距離は8-24ミリ。焦点距離8ミリの単レンズとして計算すると、無限大時レンズから8ミリの場所に結像し、50メートルの時は8.0013ミリの場所に結像します。1.3マイクロメートルの移動量です。同様に25メートルでは26マイクロメートルの移動量です。実は990のカタログにAF制御の1ステップが1.25マイクロメートルと出ていたのでこんな計算をしてみました。おそらく990はこのクラスでも真面目にAFも作っていると思われ、もっとラフな製品が多いのです。かつては固定焦点のデジカメも多かった。それにしても、このカメラの中で1マイクロメートルの制御とは・・・。それでも無限大-50m-25mのステップなのです。ちなみに50ミリレンズなら無限大から50メートルまで50マイクロメートルの移動量です。技術的にはコンパクトデジカメはこんなに難しいことをやっているのです。正直、フォーカスエラーもありそうです。
次に解像度で最も大きな問題は、「モアレ」対策のローパスフィルタです。モアレとはテレビなどで出る、細かい縞模様が虹色の偽の模様が見えてしまう現象です。CCDのピッチに近い繰り返し模様では必ず起こる現象なので、服の編み目、都市風景のような細かい遠景などでは大問題です。そこでローパスフィルタを入れて、高周波数成分を除去します。早い話わざと解像度を落とすのです。正直言うとこの辺りから僕の理解も曖昧なのですが;)一見矛盾するこのやり方が一般的な方法なのです。一旦落とした解像度をどうやって復元するかは、ブラックボックスですが、デジカメによってはエッジを強調しすぎて不自然に見えてしまうものも多いようです。990にはエッジ強調をオフにも出来るので、後処理でシャープネスを上げる方が良いかもしれません。
ローパスフィルタを無くす工夫ができればよいのですが、そのためにはランダムパターンのCCDか、レンズ解像度を大幅に上回るCCDを使い、数分の一に画像を縮小してしまうのが手っ取り早いか。
そしてコントラストも300万画素デジカメの欠点とされてきた項目です。デジカメ評論で言われているのは、1ピクセルあたりの面積が縮小されたので、キャパシティ不足で飽和しやすく200万画素に劣るというものです。確かにもっともに聞こえますねえ。もちろんある意味正しいものです。でも、それって300万画素が悪いのでしょうか。
冷却CCDの場合、16bitの出力も可能ですし、スキャナでも12bitは普通ですから、8bitの出力にも問題のあるような物はありえないと。するとこれはむしろCCDの後処理、A/Dコンバータから各種ゲートアレイ、ASIC内での処理に問題があるのか。僕の想像では、これも初期のデジカメ評論に見られた「ねむい」「青っぽい」画像に対する批判の影響で、カメラ側でより派手に見栄え良くしようとしすぎた結果だと思います。ちょっと見、コントラストの高い画像は解像度がよいように感じ、くっきり見えるので、そのようにしているのです。結果としてコントラストの高いところで破綻するのです。
作例は、これも某工場の窓から昼休み撮ったものです。;)中央部分をピクセル等倍で切り抜きました。ブロックノイズが見えたらごめんなさい。

Nikonクールピクス950
コントラスト:オート
輪郭強調:オート

Nikonクールピクス990
コントラスト:オート
輪郭強調:オート

Nikonクールピクス990
コントラスト:-(マイナス)
輪郭強調:オフ
これも結構印象が違いますね。まず解像度は、990も950もそう大差ないです。やや990がいいかな。でも990もエッジ強調をオフにするとボケボケです。でもこれが本当に写った画像です。コントラストはオートでは950の方が990よりすぐれています。空の部分のアンテナの描写が明らかに違います(HP氏どうも)。でもコントラストマイナスにした990の方がさらに優れています。このことからもコントラスト飽和は300万画素のせいではないことがわかります。
あえてデジカメ評論で言われていることに反論する形で考えてみました。いずれも全く間違えではないものの、支配的ではない原因を強調しすぎたり、特定の条件に偏った結果を用いていたりで、気になっていたものですから。この実験も偏っていないとは思っていません。夕焼けの条件なんて相当偏っているし。でも簡単に違う結論が出せるくらいデジカメの評価は難しいです。(デジカメが勝手に中でいろいろやりすぎとも言えますが)
なんかデジカメもまだまだな部分を感じますね。凄い部分とのアンバランスと。
2000年10月1日
2004.01.23 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
デジカメ比較実験!-2(2000)
2.ノイズ比較
次に”反300万画素キャンペーン”で大いにやり玉に挙がったノイズです。ここに挙げた画像は上の画像の中央下方部分を等倍で切り取ったものです。画素数によって見た目の大きさが違いますが、どれも等倍です。

Nikonクールピクス950

Nikonクールピクス990

NikonD1
先述のように撮影条件が違いますので、注意が必要です。950が暗いのは露出補正のためです。990があまいのはエッジ強調のためです。これは次項にてふれます。またどれもJPEG圧縮を大きくかけていまして、ブロックノイズが見えますがここはねぐって見てください。
注目はD1のシャドー部の階調の豊富さです。プロ用の名に恥じない描写です。990はノイズだらけと酷評された300万画素1/1.8型CCDですが、950と比べても遜色が無いどころか上回っています。950は露出アンダーがノイズになって出たようです。まだ明るい空と同時に写したシャドー部なのでS/Nがかなり厳しいのですが、全く気になりません。これは優秀と言って良いでしょう。
じつはデジカメ評論家がノイズと言っているのは、中間階調のグラディエーションのようです。こちらの方は実際の所は試していませんが、少なくともノイズとは違うことを言っておきたいです。なお、長時間露光(8秒以上)では、ダークノイズが多く出てしまいます。これはS/Nとは無関係に長時間露光で出てしまう熱的ノイズでして、冷却CCDでは押さえられますが通常は避けられません。
最近はキヤノンD30キャンペーン(笑)が雑誌で盛んでして、これについている「ノイズキャンセラー」はこのダークノイズをソフト減算処理で除去するもので、これをもってD1よりノイズが少ないと称しています。これも実は長時間露光の場合だけでして、通常ノイズはCMOSのキヤノンの方が多い(ノイズキャンセラーオフでは明らかにノイズが多い)のですが、ある一面だけ捉えた評価です。これなんかも僕は気に入らないことです。なんていい加減なんでしょう。
(続く)
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デジカメ比較実験!-1(2000)
デジカメ比較実験!
ここのところ、このセクションではデジカメの話題かデジカメで取った映像を付けたものが多いので、ページが重たくなってしまいました。この文章も長くなってしまいました。
デジカメでこれと言ったものを撮ったりしていないのですが、日頃持ち歩くようにしているので、たわいのない写真が増えているようです。タイムラグが大きいなどスナップにも不満は多いのですが、少なくともカメラがなければその場限りの光景も、ちょっとその気になれば記録できるのは、デジカメの功績の部分でしょうか。
デジカメに興味を持っている方も多いでしょうが、初期のデジカメ評論の中にはいい加減なものも多く、最近に至っても業界そのものが急膨張する中で、雑誌記事もある点にばかりこだわって誇張したりして本当のところが見えてこない。高密度画素競争も300-400万画素で頭打ちになる気配となり、これからの方向性を模索しているような状況になってきました。
ここでは僕自身が銀塩一眼レフを使ってきた上で、デジカメに対する不安、不満点を意識して、実験的に撮った写真を紹介します。
なお、今回は所有するNikonクールピクス990と、たまたま周りの人から借りることが出来たクールピクス950、NikonD1を使い同じ被写体(横浜栄区にある某工場非常階段から撮りました;)同じ時刻で撮ることが出来ましたのでその比較です。
1.オートホワイトバランス
デジカメ固有の機能として、ホワイトバランスがあります。聞き慣れない言葉ですが、ビデオカメラでは既におなじみの?機能で、主には室内の蛍光灯、白熱灯などの状況下でも人の肌色がきれいにでるように、色合いを補正する機能です。銀塩写真では、言葉は違いますが、色温度補正といってフィルターで補正したり、フィルムの種類(デイライト、タングステン光)を変えたりします。といってもこれはポジフィルムでの話で、しかもプロが商品写真を撮ることでもない限り、やりません。ネガカラーではプリントの際、ラボ側で勝手に色補正していることがほとんどです。
さて、「ホワイトバランス」を「オート」で合わせるとは何をやればよいのでしょうか。もっともポピュラーなのが「自動露出」の基準と同じように、グレー(無彩色)の反射光を基準にすることです。グレーを三色分解して分かることは、RGB全てにおいて同じ強度を持つことです。つまり撮影した画像が三色分解して、偏りのないバランスに矯正することをするのです。アプリケーションソフト(Photoshopのような)で自動補正をしてもこのような動作をします。
ところが、ここでお見せするような「夕焼け」であったらどうでしょう。もともと赤い光ばかりの風景ですから、バランスが極端に崩れています。これを矯正すると「青空」がでてきます(笑)。本当です。これからお見せする画像をお手持ちの画像処理ソフトで自動補正してみてください。
950まではこのようなオートホワイトバランスだったのですが、弱点解消のため、Nikonでは990で、「256分割マルチオートホワイトバランス」、D1で「1005画素CCD-TTLホワイトバランス」(F5のセンサを使用)を搭載しています。これらは「マルチパターン測光」と同じく、実写映像データに基づく画面構成を加味した制御をしているのです。
そのようなことを意識して、夕焼けの写真を撮ってみました。

Nikonクールピクス950

Nikonクールピクス990

NikonD1
どうでしょうか。950は所有者の好みから(T氏どうも;)-0.7段露出補正してあり、990は後述のコントラストマイナスにしてあります。鮮やかさから見て990>D1>=950でしょうか。これだけの色合いの差のほとんどがホワイトバランスの差ですから、銀塩写真、特にポジフィルムを使うことを考え、わずかなレンズ、コート、フィルムの発色の差を論じてきた銀塩カメラ所有者はもうパニックです;)。これはカメラではない!(笑)
しかもこの比較には最大の欠点があって、それは本当の色がどれなのか分からないことです(撮影者も;)。そんなとき人間はより鮮やかな「記憶色」をよりどころにします。人は自分の過去の記憶を美化しがちですので、冷静な判断が出来ません;)。この写真の場合、990は鮮やかすぎます。D1との間くらいでしょうか。フィルムでも思わぬ鮮やかな発色をすることがあって、それが好まれる傾向にあるのですが、デジカメの場合決定的に違うのが、あまりにも自由にいじれてしまうことです。後処理でちょっといじるだけでD1もこんなに鮮やか。990と色を揃えてみました。
「ホワイトバランス」はこんなに曲者です。でもね、一頃、デジカメ評論家はCCD原色フィルタが鮮やかで、補色フィルタがくすむ、とか言っていたんですね。実際には各メーカーのホワイトバランスの思想の違いだったのですね。ちなみにD1は原色フィルタです。後処理(レタッチ)をしやすい画像は、くすんだ(ねむい)画像です。逆に鮮やかな画像は、どこかに飽和した色があるので、それ以上のレタッチが出来ないのです。ただレタッチの場合はホワイトバランスは、例えばデイライトに固定するのが良さそうです。
僕がここで言いたかったうちの大半が実はこれでして、ぱっと見の印象がこれで決まってしまい、それがデジカメの性能のように言われてしまうことが多すぎるからです。僕は鮮やかなデジカメばかりが良いと言われるのには大いに不満を持っていまして、正当な評価をカメラを知らない読者の多いパソコン雑誌などでもしっかりやってほしいものです。
(続く)
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大したヤツら(2000)
大したヤツら
高校時代の友人と久しぶりにあった。といっても久しぶりのような気がしないのは、彼らとメーリングリストで日頃やり取りしているからであるが、それだけでもない。以前、高校クラス会の幹事をやったが、実に20年ぶりに会う連中とも、普通に話が出来てしまうのは、高校生の時期というのがそれなりに人生において大きな意味を持っているのかもしれない。
ここのところいらいらしたり落ち込んだりしたが、そういうことは彼らを見ていると言っていられないのである。ここにいるのがSE兼取締役だったり、Gマーク商品設計デザイナーだったり、先端技術研究者だったりするのだが、全然そうは見えない、が、彼らのバイタリティには圧倒される。全く大したヤツらだ。
デジカメで撮った写真じゃ面白くないので高校時代の顔にしてあげたぞ。僕を除き皆さん40・・。

追伸 日本柔道おめでとう。
2000年9月16日
2004.01.23 in 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク | コメント (0)
デジカメ・ミニギャラリー(2000)
デジカメ・ミニギャラリー
休日出勤でも、デジカメで帰りにスナップ的風景写真を撮ってみました。時間がなければ無いほど色々やってみたくなるのが良くも悪くも自分の癖でして。何もやりたくなくなったら自分は終わりですね。(上の土星の写真もそうですが)(何かをしたいなー、とぼーっと考えているのもやっているうちですので悪しからず、ってなんでや。)
モノレール幻影
幸か不幸か入社以来17年、大船に通い続けています。大船には湘南モノレールという全国でも数少ないモノレールが走っていますが、実はその昔(30年前?)、横浜ドリームランドへ行くモノレールが走っていました。ロッキード製(だったかな?)の車体が重すぎて軌道に亀裂が入り、開業してすぐに運休し、今に至っています。運休なのでレールが残っているのです。リニアモーターカーが走るなんて記事も出たことあるのですが。数年前まで大船駅舎が残っていて夜は不気味でしたが解体されました。でもレ-ルはそのままで、民家のそばを通っています。いや正確には、民家がそばに出来たのですが。
同様なモノレールが兵庫県姫路市にもあって、廃止されていますが、こちらもレールが残っています。もっとたちが悪くて、ビルの中に作った駅が廃止になっても、そのまま残っていたりします。



戸塚駅夕景
戸塚に越してきて、4年になりますが、東戸塚に住んでいた頃は駅前に何もなくて、富士山や丹沢が見え、朝日、夕日を見ながら会社へ行ったのに比べると、平日は季節を感じることが減ってきました。もっとも家の周りは自然だらけですが。
それでもこの日は、暑い暑い一日が終わる頃、秋へ向かう雲と夕焼けがきれいでした。でも夕焼けの一番きれいな瞬間は本屋に入っていて見ることが出来ませんでした。ま、デジカメでもなければ撮ることも無い風景ですが。


2000年9月5日
2004.01.23 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
デジカメで木星(2000)
久々に木星を見ました。この時期、夜半過ぎに東の空に昇ってくるのですが、10数年前にも、夏のこの時期によく見え、水素増感フィルムで写真を撮りました。
この時期は、特に熱帯夜で暑い無風の夜は、気流が安定していて木星のような分解能勝負の天体を見るのに都合がよいのです。だから本当は沖縄やハワイあたりがよいようですが。
で、今回はデジカメで挑戦しました。これなら良いかも。とりあえず、ご覧下さい。
ちょうど大赤斑に衛生の影が落ち、縞の微細構造が見えて揺らぎのない安定した大気で、望遠鏡の性能が上がったみたいでした。
で、990で木星を撮ってみました。
このためにビクセンの2.5ミリ高級アイピースを買っていたのだがこれが思いの外高性能。こんな短焦点でもロングアイポイントで見やすい。
990をマニュアルにセットし、絞り開放、シャッター速度1-2秒で撮ってみました。デジカメはその場で出来を確認できるので露出の失敗も恐れることなく、試行錯誤できるが、銀塩のときの勘で撮ると大体的中。
ホワイトバランスはオートだったが、結構色がころころ変わって困る。オートフォーカスは迷いながらもほぼ的中。すごい。ただ撮影時には液晶モニタが暗くて、広角にしないとよく見えない。
また反射望遠鏡のためか、画面中央に斜鏡の影らしきものが写る。アイピースが高倍率すぎるのか?困ったが、端の方のフォーカスフレームで撮影できた。990で良かった。
撮影結果は想像通り、いやそれ以上に良く写る印象。ノイズも目立たず、色もなかなか。冷却CCDは、惑星写真では不要という印象。
ということで自分の使用目的は達成できそうです。久々に土日休んでも徹夜じゃあ、疲れがとれないよ。
2.5mm接眼レンズ(ビクセンLV2.5)
上のみエクステンダー(MTコレクターレンズ)使用
NikonE990(クールピクス990)

シャッター速度 2秒、絞り2.7 ズーム位置10.7mm+コレクタレンズ

シャッター速度 1秒、絞り2.8 ズーム位置11mm
2000年8月27日、28日追記
2004.01.23 in 天文 | 固定リンク | コメント (0)
勝つ気あんのか首脳陣(2000)
勝つ気あんのか首脳陣
あ、阪神のことです。あなたの会社のことじゃありません。
今日横浜スタジアムに久々に見に行きました。(昨年5月0-16でぼろ負けした試合を見て以来) 今日は、昼間は休日出勤までして、一所懸命がんばってます。そんなに悪いことはしてないです。結構いい子にしてます。それなのに・・・。
確かに11回裏2アウトまでいったのです。「あとひとり」コールもやったのです。それなのに・・・。
なんで左バッターが続くのに右アンダースローの葛西をそこまで引っ張るの?もう3イニング目に入るし、見ていてもいつもの切れがない。遠山は昨日負け試合に出したじゃない。今日は勝ってたんだぞ。勝ちゲームに出さないで何時出す。まったく、ボケ!
最後は矢野がきちんと捕球していればホームタッチアウトでした。それを責めるのはたやすいが、実は首脳陣が勝ちゲームをみすみす逃したのが原因だったのです。おい、こら!勝つ気あんのか首脳陣!!
ほんの一瞬、タラスコのホームランで勝ちゲームを夢見ただけでした。そうそう結果は延長11回3x-2で横浜ベイスターズ様の大勝利でございました。もう横浜スタジアムで何年勝ちゲームを見ていないだろう。

むなしいだけですな
2000年8月18日
2004.01.23 in スポーツ | 固定リンク | コメント (1)
990顛末記(2000)
990顛末記
Nikonクールピクス990、7月末にヨドバシ上大岡店で買いました。ちなみに上大岡店の13%ポイントは8/15までです。
値段はこの間まで99800円だったのが89800円に下がったのと、7月中なら5000円クーポン券も利用しました。CFカードもレクサー8倍速。いまなら専用カードリーダー付属です。その他ニッケル水素充電池、パソコン接続キットなどを買うと結構いい値段になってしまいました。;)
ところがこんなこと、言いたくないのですが、この990、一回使っているうちに、突然液晶が真っ赤になってしまいました。初期不良ってやつです。なかなか都合が付かず一週間後に商品交換でヨドバシへ。21時近くでしたが店員の応対も良く、気分良く交換機を持ち帰りました。
家で試し撮りしようとコマンドダイアルを回すが全く反応せず。さすがに茫然自失。一気に疲れが出てしまいました。翌日はこのままではまた一週間経ってしまう状況だったので午前休暇を取り、10時に三度ヨドバシへ。「こんなことはないのですが・・」と必死に謝る店員に、「Nikonに文句いっといて」と知る人が聞いたら呆れてしまう台詞をはき、ようやく3台目で終結しました。
さすがにこんなことは初めてで、嫌になりました。と同時に自分の設計する製品を振り返るとこわい。990、作っているのはサ○ヨーだけど、ニコンもしっかりしろ!
さて8月7日に鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の「ぼんぼり祭り」へ990と三脚を持って会社帰りに寄ってきました。下記参照。夜景は露出が難しいのですが、デジカメだとその場で確認できるので非常に便利。心配したノイズも8秒を越えなければ気にならない。990になってマニュアル露出も出来るので、操作もやりやすい。壊れなければ;)なかなか良いデジカメですね。まだそれほど使っていませんが、天体望遠鏡アダプタは先に買って置いたので;)こんどは月か木星を狙ってみましょう。
ということでNikonも壊れるんだな、という回でした。
2000年8月14日
2004.01.23 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
鎌倉ぼんぼり祭り(2000)
鎌倉ぼんぼり祭り
この土日は町内会の夏祭りの手伝い(山車の交通警備)で夏ばて。
月曜日はノー残業デーなので、そのまま鎌倉へ出てみました。
鎌倉鶴ヶ岡八幡宮では今「ぼんぼり祭り」。段葛から参道沿いにぼんぼりが飾られ、ろうそくの灯が点されます。

鎌倉は地元にも関わらず、「ぼんぼり祭り」には一度も行ったことがなかった。
ぼんぼりは地元著名人が寄贈した絵、文字が。横山隆一のフクちゃん。他にも平山郁夫、なかにし礼、山本富士子、水木一郎、竹中直人などなど。

能舞台では歌舞伎?が行われていました。

平日の割に人出は多いものの、のんびり落ち着いた雰囲気で、ようございました。
今回の写真はクールピクス990で撮りました。まだ買ったばかりで本格的な撮影は初めて。購入時の顛末などはまた後日。
2000年8月7日
2004.01.23 in 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (0)
皆既月食(2000)
皆既月食
2000年7月16日、見事な皆既月食が見られました。皆さん、ごらんになりましたか?
月食は日食よりも発生確率は低いのですが、日食が限られた地域でしか見られないのに対し、月食は夜、月の見えている場所であればどこでも見られるので、日食ほどありがたられませんが、今回のは理論値に近い皆既食の長さで、ゆっくりと皆既食が見られました。
月食開始が20時50分頃と、早かったので子供にも声を掛けて見せましたが、皆既の始まる22時までおきていることは出来ず、ビデオに撮った映像を今日になって見せました。便利になったものです。
今回は天体望遠鏡にデジカメ(借り物のクールピクス950)をつけ、撮影してみました。わざわざデジカメアダプタは用意していたのですが、(ビクセン製品なので当然ですが)ビクセンの大型アイピースでないと固定できず、手持ちで接眼レンズに押しつけて撮ることになりました。暗い皆既中はAFも働かず、ピントが液晶面でも分からないので、結局手ぶれとピンぼけの写真が多くできましたが、それでも手軽に良く撮れるな、という感想です。
ビデオカメラでも撮ってみましたが、これも手軽な割には良く写りますね。アニメーションなんかにしなくても動画が撮れる(当然ですが)ので、月食の進行を収めることが出来ました。
デジカメもビデオも昔は全く月食などを撮影することなど不可能でしたから、便利になったものですね。
今回撮った写真の一部です。(大きさが違うのはカメラのズーム位置が違うからでして、950の起動時に必ず望遠側になって、いちいち広角側にしなくてはならず、標準位置に復帰させる機能もないから不便です。)






2000年7月17日
2004.01.23 in 天文 | 固定リンク | コメント (0)
斑鳩の里(2000)
斑鳩の里
前、出していた表題の写真(左)と今回の写真(右)は斑鳩の里、法起寺の写真です。前のが1984年ですから16年目の写真と言うことになります。時期は同じゴールデンウイーク中です。


今回は子供連れで行ったので、長距離を歩くわけにも行かず、しかも当日の気温が28度あったらしい。奈良は盆地なので夏も暑いのですが。古代の生活にはつらかったと思うのだけど、なんでここにしたのだろう。
斑鳩は法隆寺が有名な場所ですが、都があったわけではなく、飛鳥(明日香)に都があった頃に聖徳太子が住んでいた所に寺が建ったわけです。ですからその当時から民家はほとんど無かったのでしょうが、それほど明日香、奈良市と斑鳩町は距離もあり別の雰囲気があります。
小学校の頃、法隆寺の金堂に惹かれて(五重塔と金堂のプラモデルまで作った)夏休みに家族や親戚と行ったのが始めてで、中学修学旅行でも行きましたが、1984年に久々に行ってお寺よりもその周辺の風景に惹かれたのでした。その時は学生時にクラブで一緒だったA氏、T氏と同行して生駒から柿田川を越えて斑鳩へ入り法隆寺から法輪寺、法起寺へ歩き通したのでした。生駒は大阪のベッドタウン化して大規模な住宅地が開けていましたが、斑鳩はまだまだのどかな古い町並みが残っていました。
それ以来、数年に一回はこの地を訪れていました。大体明日香か奈良にも同時に行っていましたから短期集中的に写真を撮ることが出来ました。ですが季節は大体秋で、春に行ったことは無く、今回は実に久しぶりに春に行ったのです。また、昨年秋に奈良に行ったときも子供連れで明日香、奈良と同時に行くことは出来なかったので、その点でも久しぶりでした。
で、この写真ですが、一番大きな違いは法起寺の周囲が実にきれいに整備されていたのでした。三重の塔の後方に背の高い木が茂っていたのが全部伐採されていて、また裏手のあぜ道、耕地が平坦になっていて、すとんと塔まで見通せるようになっていました。
これでは塔とレンゲ畑の間にある温室や畑を隠すことが出来ず、構図を決めることが出来ませんでした。ちなみに法起寺の塀もきれいになっていて、以前のひび割れた土塀ではなくなっていました。このことに関し、何かを言う立場にはないし、喜ばしいことではあるのですが、何ともうまくは言えない雰囲気が失われたことは否めません。
この他にも法隆寺の五重塔が遠望できる場所があったのですが、電線、電柱、ガードレールが完全に興ざめの位置にあって、何とも歯がゆい思いでした。そういえば随分新しい住宅が斑鳩には増えたようです。それは良いことなのです。ですが日本には古代の伝統と共存する方法がないのです。

この景観でこれだけの電線があるとは、残念・・・。

写真は引き算だ、と言いながら、高台に上り望遠でじゃまな電線を消しました。
でもね、この構図、左右どちらにも振れないのですよ。電柱があるから。窮屈だな。
こんな状態では、「神の国」なんて言っているやつの気が知れませんね。(あのひとと言っている意味は違っていますが。ああ、あれは意味なんて無いんだっけ)
2000年5月28日 6月3日追加
2004.01.23 in 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (0)
写真の評価(2000)
写真の評価
このコーナーでは一月近くご無沙汰になってしまいました。
多忙であったという言い訳になりますが、自分の性格からして忙しい方が独り言が多くなるのでネタも増えるのですが;)、精神的に参っているとどうも思考が停止してしまうようです。体の方はこう見えても自信があるのですが、米国出張以降どうも体が重いです。連休では相も変わらず関西方面へ行って来ました。奈良は28度くらいあったようで、非常に暑かったです。これについてはまた。
さて、自分の写真を人からどう見られるか、誰でも気になるところでしょうが、客観的な技術論はまだしも、主観的な評価は人それぞれでそれが正しいとも思えないし、被写体にまで言及されたときには余計なお世話と思ってしまいます。写真がうまくなるには素直さも必要なのでしょうが、かといって自分を否定してまで人に気に入ってもらう必要は少なくともアマチュアにはないのです。このHPのなかで「月例会」をやっているのですが、どうしても主観に踏み込まざるを得ません。でも極力違う考えを提示するに留めています。また、言われたからと言ってそれが正しいと思わずに、自分の考えで反論して欲しいものです。その上で「ああ、こんな考え方もあるのだな」ということからさらに柔軟な思考が出来るようになると思うのです。商売ともなればそうはいかないわけですが。
ところがアマチュアでもそうはいかないのがコンテストで、コンテストの趣旨や、選者の嗜好まで考えないと、それでなくても運が付きまといますが、なかなか入選しません。そこまで媚びを売りたくねえや、とコンテスト嫌いなのですが、自分の好きな作家が選者だったりすると、ミーハー的に応募したりしてはがっかりします。今まで片手で数えるくらいしかないのですが、入選しても佳作止まりがほとんどです。
そんな僕ですが今年はじめに保険のお姉ちゃん(自分より年下だからおばちゃんとは言いたくない)から写真出してみないか勧められたのが、明治生命のコンテストでした。テーマは「幸せの瞬間」。どうせやらせ写真が選ばれるとわかっていたのですが、それでも出そうかという気になったのは、入選作がテレビコマーシャルに使われるからでした。しかもBGMに元オフコースの小田和正「言葉に出来ない」が使われるとか。恥ずかしながら昔からのファンであった僕はそれだけでミーハー的気分になってしまうのでした。で、すっかり忘れていましたがとうに入賞作は発表されていて僕のはだめでした。でも昨日保険のお姉ちゃんから電話があって、佳作に入選しました、とのことで、僅かながら賞金もいただきました(図書500円券)。
この写真は佐野の方のリンゴ園で、数年前に長女の小さい頃、会社のY氏家族と旅行に行ったときの物で、写真は日付入りというおよそコンテストには不向きの写真です。でも家族写真としては大事な写真で、表情も良く撮れたと思い年賀状にも使った物でした。技術的には内蔵ストロボなのでその影が気になりますが、バランスシンクロのお陰で良い露出だったと思っています。空が青空であったらもっと良かったのですが。でもこういう写真は内輪で留めておくのが良さそうですね。ここは内輪だと思っていますが。
果たして皆さんは写真をどう評価しますか?(これは写真に限ったことではありませんが)
2000年5月10日
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カメラの行方-7銀塩カメラ完結編(NikonF5)
カメラの行方-7完結編(NikonF5)
ふー。公私に渡り多忙(時間的よりも精神的に)を極め、なかなか書けませんでしたが、実は毎日こつこつと時間を少しずつかけておりました。どうも見る方にもエネルギーを要求する、インターネットに不向きな文章になっているようですが、どうか皆さん読んでください。
7.Nikon F5
1.購入年月日 1997年11月
2.購入場所 浅草??
3.シリアルナンバー 3005276
4.購入動機
予想通り、というか、期待に反し、というかニコンF5はオリンピックイヤーに登場し、そのスペックは直前に出たキヤノンEOS-1Nを凌駕するものであったが、操作系はF4ユーザーよりEOS-1Nユーザーの買い換え用か?というものであった。
先述のようにF4は、ある面でEOS-1に負けた。ただそれはAFに関してであってカメラとしての基本性能では高級機と中級機ほどの差で勝っていた。それはシャッターを切ったときの感触のようなもので違いが分かった。ニコンとしては全ての面でEOS-1に勝つことがF5に課せられた指命だったはずだ。
以下、下記参照。
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カメラの行方-6(NikonF4)
カメラの行方-6(NikonF4)
ちょっと息切れしてきました。でも言わずにはいられない。しっかりしてくれ!ニコンさん。
Nikon F4
1.購入年月日 1995年6月
2.購入場所 横浜西口(ビックカメラ)
3.シリアルナンバー 2600182
4.購入まで
実はNikonF4が発表されたときに新聞で写真を見てがっかりした。一眼レフの大きさはレンズマウントから想像できるが、図体が大きすぎて、巻き上げレバーがないことでモータードライブ内蔵になってしまったことが容易に想像できたからだ。それが今では山ではメインカメラだ。なぜそうなったのか、自己分析してみたい。
4-1.NikonF4発表の頃
これを書こうとして、いつF4が発表されたか調べたのだが、その時の雑誌を破棄してしまって定かではない。いや、大体は分かっている。発売日は1988年11月3日を当初予定したが、予約が殺到し必要数が確保できないので遅らせて12月上旬になったこと、それでも実際に店で触れたのは1989年2月以降だったこと(このころ6×7中判カメラを買ったときカメラ屋の親父からF4が入らないと言う話を聞いた)は分かっている。しかし、発表時期にこだわる理由は、この1988年にソウルオリンピックがあったからだ。記憶ではオリンピックにF4が持ち込まれ、プロカメラマンに貸し出されて評価を受けたはずだ。ともかく、AF一眼レフとしての最上位機種としてF4は誕生し、発売前から評判を呼ぶほどであった。一方、キヤノンはEOSの最上位機種EOS-1を1989年に発売する。だからソウルオリンピックに間に合わなかったはずなのだが、記憶ではソウルで貸し出されたF4とEOS-1ではAFで100m競争(当時ベンジョンソンとカールルイスの全盛期)を撮るとEOSが上回った、と聞いた。これはソウルではなく次のバルセロナだったかもしれない。
ともかくF4は大々的に発表され、僕自身新宿のデパート?での発表会に行った。これはアマチュアも対象にしたもので、試作品を含むF4の展示があり、沢口靖子がゲストで来ていた。(これが目的だったという噂も・・)
4-2.EOS-1と激突
以下、下記参照。
2000.3.20
2004.01.23 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
ちょっと息抜き・・・フォトエキスポ2000にて
ちょっと息抜き・・・フォトエキスポ2000にて

あのお、決してこんな写真ばかり撮っていたわけではありません。horip氏のクールピクス950を借りて撮りました。この950,450枚ほど撮ったのですが(通し番号で分かる)75%は僕が撮っています;)「カメラの行方」のカメラの写真もそうです。
あれ、カメラショーの話では・・・・ありませんでした。悪しからず。
2000年3月10日
2004.01.23 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
カメラの行方-5(NikonF-601AF)
カメラの行方-5(NikonF-601AF)
カメラショーへ行って来ました。銀塩カメラの健全な発展がまだまだ続いて欲しいものです。
さて、今回からAF一眼レフに話題が移ります。
NikonF-601AF
1.購入年月日 1994年7月?
2.購入場所 横浜西口(ヨドバシカメラ)
3.シリアルナンバー 2241762
4.そのころは
このカメラはオートフォーカス一眼レフである。何を改まって、と言われるだろうが僕にとって初めて持つAF一眼レフである。
4-1.AF一眼レフ誕生
AF一眼レフは古くから開発されていて、試作品をのぞく本格的なものは、僕の知る限りではペンタックスME-Fである。1982年だったと思う。レンズにAFセンサー、モータ、電源を持つものがいくつか出てきた頃で、後で有名になったハネウエルのセンサーを使ったものがあった。が、ペンタックスはボディにセンサーを持って前後のコントラストを検出する独自の方法で、AFシステム化を狙って、マウントも共通であった。元々最軽量カメラなので大きさは小さく、性能さえ伴えばブレイクしたのではないだろうか。ほぼ同時期にニコンF3AFが出たがこちらは交換ファインダーにセンサーを持ち、独自の位相差検出方式で連写に耐える性能を誇った。AFレンズも80ミリと200ミリで他社のようなズームではなく、プロ使用を意識していた。レンズ内モーターで将来の超音波モータを意識していたのではないか。この頃の日経メカニカルにはニコンが超音波モータを開発中であることが表明されている。
4-2.αショック
ペンタックスもニコンもキヤノンもレンズ内モータ、ボディ内センサで行こうとしていたその時、ミノルタα7000が発売された。1985年だ。ボディ内センサ、モータで、シャフトでレンズを動かす、この方式はレンズが安く、小さくできるので、同時に多くの交換レンズが出た。マウントも新規になり、ミノルタが本気になって出したことが伝わってきた。キヤノンは同時期にT80というAFカメラを出したが完敗。ニコンは量産に入ったカメラをお蔵入りにして開発変更した、という噂だ。
1986年にミノルタに追従したのはニコンF-501だ。ミノルタと同じボディ内センサ、モータであるが、マウントは変えず、F3AF用のレンズ内モータも動いた。これが後の超音波モータに対応する。今では信じられないが1987年春にはニコンF-401という、自社開発AFセンサ(501はハネウエル製)とストロボ内蔵でデザインも斬新、それでいて他社と比較してももっとも安い(ここが信じられない)というカメラを出した。何人かの知人、自宅の父用に勧めて買わせたが、残念ながら室内でのAFが遅く、僕が文句を言われた。
さて開発競争はオリンパス、ペンタックスが続くが、キヤノンは最後になった。1988年、周回遅れで出たキヤノンEOS650はレンズ内モータ、ボディ内センサで、あえて不利といわれたレンズ内モータでありながらコストを下げ、売値を他社並にした。AF速度では周回遅れのトップに立ち、逆襲が始まった。しかし、ミノルタも第二世代α7700iを1988年に出す。ミノルタのトップの座はハネウエル特許敗訴の頃まで続く。
以下、下記参照。
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カメラの行方-4(NikonFM2/T)
カメラの行方-4(NikonFM2/T)
続いて結婚後に買ったニコンFM2/Tです。連日更新してます。結構大変です。
NikonFM2/T
1.購入年月 1993年12月
2.購入場所 横浜西口(ヨドバシカメラ)
3.シリアルナンバー 9000596
4.購入動機
先に書いたように世界初1/4000、1/200シンクロシャッターが「FM2」で1982年に登場した。そして1983年に1/4000、1/250シンクロ「FE2」が出た。シャッターは新規になっていてシャッター幕枚数は9枚が8枚になり、幕速が約3.5ミリセカントが約3.3ミリセカントに上がっている。機械制御シャッターと電子制御シャッターの違いがあるものの、わずかな期間にブラッシュアップが行われているところをみると、FM2の1/200シンクロがよほど悔しかったのだろう。そして、案の定ただちにFM2も1/250シンクロ化され、「newFM2」となった。1984年3月のことである。このカメラは今もなお生産されていて、16年になる。Nikonには「F3」といういまや20年選手がいるので目立たないが、すごいことだ。これも当時は気にもとめられなかった機械式シャッターが今は希少価値(巻き上げですら電池がないと動かないカメラばかり)であるからだ。ちなみにオリンパスはOM-1,2の後継機OM-3,4が1983年に発売され、今もあるがOM-3は一度ディスコンになって、復活しているので、ずっと継続している点ではFM2が上だ。しかしニコンもオリンパスOM-3を意識していたようで、そのディスコンが「FM3」?の計画を無くしてしまったのではないかと噂された。
さて「FM2/T」はnewFM2の上下プレス板をチタンに変えたもので、1993年に発売された。同時に「35Ti」という高級コンパクトカメラ(FM2/Tより高かった)がでたが、この当時コンタックスTというカメラが人気だったためであるが今はない。
個人的には長女が生まれる前で、生まれたら写真を撮るので買う、という理由だったが、生まれたら生まれたでお母さんも撮るのにAFが良い、とF-601を買った。面目ない。;)
以下、下記参照。
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カメラの行方-3(NikonFE2)
カメラの行方-3(NikonFE2)
今回は長年愛用してきたニコンFE2についてです。
NikonFE2
1.購入年月日 1983年11月27日/ブラックボディ1988年?(中古購入)
2.購入場所 横浜西口(カメラのきむら)/ブラックボディ横浜西口(カメラのきむら)
3.シリアルナンバー 2014156/ブラックボディ2152123
4.購入動機
こんなことを告白?するのも恥ずかしいが、大学四年の研究室が希望の材料力学ではなく、じゃんけんで負けて流体力学になったことで、少し落胆していた。中学の時にまねごとで自作天体望遠鏡の設計をしたりしてから、光学機器の設計がしたくて工学部を選んだ身としては、研究室に残るより、就職しよう、という気になっていた。今にして思えば大学研究室の分野が何であれ、良かったのであるが。
で、天体望遠鏡とカメラの光学機器メーカーで、数社当たったのだが、いろいろ条件面などで迷っていたところに、あるカメラが発売になった。それは自動露出全盛のスペック競争の時代に、シャッターそのものの改良で1/4000秒と1/200秒シンクロをメカシャッターで実現した「NikonFM2」であった。通常のカメラは1/1000-1/2000秒、1/60-1/125秒シンクロであるから、1-2段高速になったことになる。シャッター幕がなんとチタン合金をエッチングでハニカムパターン状に肉抜き(0.01ミリ単位で)したもので、そうまでして膜速を上げたかったのか!と見る者を感動させる。でもカタログスペックは1/4000秒と1/200秒シンクロ以外何もない。この姿勢が気に入ってしまった。「NikonFE2」は「FM2」の絞り優先オート版で、1/4000秒、1/250秒シンクロを達成した。特に特徴もないカメラであったが、シャッターに憧れて、いつかこのカメラを買おうと、入社時にもらった真新しいカタログを見て決めたのだった。
FE2は1988年にF-801AFが出た時点でディスコンになり、意外に短命な歴史を閉じた。同時にディスコンになった上位機種FAよりも、シンプルな点が評価されて中古市場でも相当高値が続いた。高値になる直前にサブ機としてブラックボディを中古購入した。それでも最初に新品を買った値段と大差なかった。
以下、下記参照。
200.2.25
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カメラの行方-2(OLYMPUS OM-2n)
カメラの行方-2(OLYMPUS OM-2n)
その2はオリンパスOM-2nです。
OLYMPUS newOM-2
1.購入年月日 1981年3月18日
2.購入場所 横浜西口(カメラのきむら)
3.シリアルナンバー 844727
4.購入動機
貧乏学生のくせに、カラーポジ(スライド)に手をだし、ネガと全く違う色に感激し、写真の勉強にはカラーが必要だと思うようになったが、高価なフィルムなので写真の勉強に使うには枚数が稼げなかった。やはりいろいろ条件を変えて写さなければ勉強にはならない。そこで普段は白黒で撮り、いざという時にカラーポジで撮るようにしたかった。その時二台目のボディを何にするかであったが、当時OM-10が大場久美子のコマーシャルで大人気で、ミノルタX-7の宮崎美子と双璧であった。しかしOM-1より下位機種なのでやめ、「ダイレクト測光」というオリジナル技術を搭載したOM-2が工学部の者としても気になったのでそれに決めていた。しかし、問題はこれが高かった。「ダイレクト測光」にコストがかかっているのか、ニコン、キヤノンのAE機より高かったのである。(キヤノンA-1やミノルタXDのような両優先オート、プログラムオート搭載カメラは10万以上していたが)
そこで配送のアルバイトをしてお金をためたが、旅行、フィルム代もあって、結局二年掛かりになった。
以下、下記参照。
2000.2.20
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カメラの行方(OLYMPUS OM-1)
カメラの行方(OLYMPUS OM-1)
ここで改めて言うことでもないが、僕はカメラ好きのようである。本来ならば、写真好き、と言うのが望ましいのであるが、望遠鏡やカメラと言った精密光学機械そのものの方が好きなようだ。仕事柄それも良いかと思っている。ところが、僕のカメラ遍歴?は思った程ではなく、オリンパスOM-1、OM-2N、ニコンFE2、newFM2/T、F601、F4、F5である。なーにがそれほどでもだ。しかし、メーカーは2社だけで、浮気はしないタイプである。が、カメラ好きと言うにはちょっと物足りない。そのためか、カメラ屋では他のメーカーのカメラを良く触る。
以降何回かは、僕のカメラについて実体験を交えながら、ああでもない、こうでもない、と書いてみようかと思う。
OLYMPUS OM-1--->以下をご覧ください。
2000年2月19日
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鉄腕アトム(2000)
鉄腕アトム
鉄腕アトムは言わずと知れた手塚治虫作のロボットですが、一時期ロボットというものはオートメーションロボットであって、アトムのような人間を模したロボットなど不要だ、という意見が強かったと思います。
そうしていくうち、ロボットという言葉の持っていた輝きが失われ、コンピュータ制御の機械という意味にしか感じられなくなりました。最近、テレビニュースなどで、こうした一度は否定された人間型(動物型)ロボットの研究開発がまた盛んになってきたことが紹介されています。こういった番組の一つ(NHK)で立花隆氏がおもしろいことを言っていました。人間型ロボットは日本が一番進んでいること、その主体は鉄腕アトム世代であること、というのです。
鉄腕アトムは1951年(昭和26年)に連載が開始され、(当初アトム大使という別の漫画だった)1968年(昭和43年)まで続き、その後も単発で続きました。ですがアトム世代といえば1950-1960年生まれくらいではないでしょうか。すると、自分も含め、50-40歳の世代です。この世代がようやくいろいろな面で発言力もでてきて、しかも技術屋になったきっかけが「アトムを作りたい」という子供の頃の夢だったわけです。テレビでは早稲田などの研究室やホンダなどの企業の紹介がありましたが、教授やチームリーダーがこの世代のようです。自分も振り返るとアトムの影響を強く受けています。あの当時の子供漫画、番組にはよく博士や科学者が出てきましたが、大体ロボットを作る人が多くて、お茶の水博士がその代表でした。僕が機械を専攻したのもこの記憶が影響しなかったとは言い切れません。
「アトム」はその名の通り小型原子炉を体内に持っていて発電した電気エネルギーで動く(このへんの設定は後年変わっていったようだ)のだが、手塚の年令から言って原子爆弾のことは十分知っているはずだし、ましてや医学博士である。なのにこの名前はちょっと疑問である。最近の放射線事故だけでなく、かつてはビキニ環礁の原爆実験など、日本にとって原爆以降、良い印象がない。実際の所は分らないが、当初から手塚はアトムが好きではなかったようだ。実際アトムは何度も壊れ、終盤(青騎士の回)で再起不能に壊されて、僕の読んでいたカッパコミックスはここで終わっている。実は「少年」連載は以降も続き、雑誌廃刊の1968年3月号でも爆破され壊れたアトムがお茶の水博士に修理されたところで終わっている。1964年から始まったテレビシリーズでは最終回で、人類を救うため核融合阻止装置をかかえ、太陽に突っ込んでいく。そしてその後サンケイ新聞での連載ではなんと未来から過去(1969年つまり連載当時)へタイムスリップしたアトムは1993年!に力つき、谷川岳の山中に眠る。そして2003年アトムの完成時にタイムスリップして朽ち果てたアトムは、タイムパラドックスを解消するため、爆破されてしまう!いやはや、これだけ各種の結末があるのに、どれ一つとしてハッピーエンドではないのである。もっともことあるごとにアトムは復活して、1980年にも新作テレビが放映されたが、手塚もアトムは完結していないと言っていた。
手塚はアトムのテーマは人間に差別されるロボットの葛藤だそうで、決して科学賛歌ではないと言う。事実、アトムは七つの威力を持つ十万馬力のスーパーロボットにもかかわらず、悩み、泣く。手塚治虫は科学を信じてはいなかった。力だけの科学は悪として悩みながら進歩していくアトムを描いた。だからそのアトムが一般には科学賛歌としか受け取られていない状況が嫌になってアトムが嫌いになったという。しかし1989年に手塚治虫が亡くなる前、やっと鉄腕アトムを自分の代表作と認めている。
ただの機械であるロボットに人間のそぶりや、温かさを求めるのは、日本のアトム世代の特徴かも知れないですね。今の経営者世代や、外国では無駄なもの、役に立たないものと思われている節もあります。でも僕はそれが無駄なことなんて全然思いません。近い将来、介護などでロボットが生活の中に入ってくると思われます。そのとき、日本のこの技術が花開くことを願っています。でも・・・・その前に人間がもっと人間的になることの方がが先決ですね。
鉄腕アトム(ロボット 天馬トビオ)誕生は2003年。彼は天馬博士の事故死した息子の身替わりとして製作された・・・。
2000年1月22日
2004.01.22 in 特撮・ウルトラ・漫画 | 固定リンク | コメント (0)
1995.1.17(2000)
1995.1.17
あのときは長女がまだ6ヶ月で、ちょうど風邪を引きはじめて、神戸に行くのは止めたのでした。でなければ、三連休に前か後ろに休暇をとって四連休にしても良いかな、と思っていました。
朝のニュースは何を意味しているのか最初は良く分かりませんでした。大阪は震度5だし、神戸だけ震度表示がないのも不思議でしたが、それでビルが倒れている映像が理解できませんでした。会社へ行って、昼休みにテレビを見ると阪神高速が倒壊している絵と、神戸のどこだかも分からないアナウンサーがただ火災だ火災だ、と言っているだけの映像。家の父親から電話があり、神戸にいる五家族の親戚の誰とも連絡が取れないとのこと。実家によって今後の対応を考えるが、車で行っても瓦礫だらけであろうこと、行ってどうするかが見当つかないこと、もあって親戚からの連絡を待つことにした。その晩何人かの親戚から連絡があり、ほぼ家も無事で少し安堵。しかし夜中に長女が40度の熱をだし、近くの救急病院へ行くも、一時間待ち。
最後に祖母と同居の叔母の無事が確認できたのが2日後でありました。全壊した祖母、おばの家に残された生活衣料品、貴重品を取りに、またこちらから食料品、ウエットティッシュなどを持って手伝いに行きましたが、それは一週間後のこと、阪神電車が青木(おうぎ)駅まで部分開通した時でした。青木から祖母の家(母の実家)の「あった」魚崎までは良く写真をとったところですが、そこには脱線した阪神電車と道路を塞ぐ家の瓦礫。テレビ報道には、長田の火災現場と、三ノ宮から港にかけて、阪神高速の倒壊現場など限られた地域しか出てこないので、分りませんでしたが、ここ東灘区の木造家屋の倒壊数はすさまじく、皆一階を押しつぶして二階が落ちてきた感じでした。この中にはもう人はいないのだろうか・・・。魚崎の家は玄関が潰れて入れず、45度に壁が傾き、黒塗りの大きなたんすが飛んでいました。壁土や瓦礫に埋もれて、たんすを持ち上げることもできず、結局押し入れにあった古い衣類を取り出すのが精一杯でした。あとは仏壇の位牌と写真と・・これらは小さいのでさがすのが大変でした。この家は結局5月末までこのまま取り壊す順番が来ず、連休に再度入ってみましたが、奥にあった食器などは泥棒に盗まれたらしく、きれいに空っぽでした。
一時横浜にも来ていた祖母と、病院の局員で毎日忙しかった叔母は定年になり、マンションを買って落ち着きました。ちなみに神戸市からの義援金の配賦は全壊家屋世帯の10万円のみでした。この国は何か狂っている、と感じたこの五年でした。
いずれその時はやってくる。テレビではない現実に僕は耐えられるのだろうか。
2000年1月17日
2004.01.22 in 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク | コメント (0)
正月恒例(2000)
正月恒例
皆さんの正月の過ごし方はどのようにされたでしょうか。人それぞれの過ごし方があるでしょうが、例えば海外旅行でハワイとかグアムとかで過ごします、なんて人とは付き合いがないので、2000年問題が心配で今年は日本にいました、なんて話も知らないのですが。僕の正月は結婚前でも家で過ごすことが多く、東戸塚の駅前が広場だった頃は、カメラを持っていって午前零時に南の空を撮影することが何年かありました。’85年頃はここでは地平線まで良く見えて、この時刻は南の地平線近くにカノープス、日本などでは長寿星と呼ぶこともある星を見て新年を迎えることがありました。今ではここは西武百貨店とダイエーになっていて到底できないことです。
ここ数年、年末から正月にかけてあまり良いことがなく、慌ただしいことが多くて落ち着いて過ごすことができなかったりしたのですが、今年は子供が風邪をひいてそれが家族を巡ってある意味落ち着いて?家で過ごすことができました。
で、正月恒例といえば、いつ頃からか忘れましたが、正月三日頃に大学時代のクラスの友人たちが集まるようになりました。それも年々参加する奥さんや子供が増えて、このメンバーの中では僕が最後に結婚したのですが、それまでは子供の相手役をすることが多くて、やっと自分の子供が参加できるようになってくると、今度は横浜を離れる人がでてきて、人数が減ってしまったりしました。今年は久々にフルメンバーに近い家族が集まったのですが、うちは僕と下の子だけの参加になってしまいました。
同級生で、学卒、院卒の違いもあるが、ほぼ社会人生活も同じ年数で、工学部機械科だったこともあり、かなりバラエティにとんだ会社に勤めています。ほぼ全員メーカー勤めで、昨今の情勢からもっとも苦労している業界、立場ではないでしょうか。いろいろなことがありました・・・。でも、ここに写っている男のひとりひとりが、(みんな子煩悩な顔しているけれど)日本の工業界を背負っているのです、と、そう言って良いと思います。だから・・・みんな、がんばれ!。
2000年1月10日
2004.01.22 in 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク | コメント (0)
ゆく年くる年(1999)
ゆく年くる年
貴方がこれを御覧になっているということは、無事に2000年問題もクリアしたということでしょう。それも含めまして新年おめでとうございます。
これを書いている時点ではまだ1999年ですが、毎年大晦日から年明けは、紅白歌合戦の裏番組と、最後はNHKのゆく年くる年で年を明かすのですが、1999年もほぼ同じです。今年はY2Kもあり、大人しくテレビを見て過ごす人も多かったのではないでしょうか。23:30もすぎると、新年は少しでもましになるように除夜の鐘でも聞きたい気分ですが、子供が横で熱を出して寝ていて、結局この日も通常の1日の終わりでしかないのが現実です。しかし、普通の日であることが一番よいことなのでしょうか。
この一年が少しでもましな一年でありますように。
1999年12月31日
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新世代写真(1999)
新世代写真
先日書きました写真展が終わりました。大学生の皆さんの写真展に参加させていただきました。年末の忙しい時期にやるので?毎年参加するのはできないのですが、今年は、このホームページの絡みもあって作品を用意し、搬入に行きました。我に帰ってみれば(笑)僕が学生の頃に生まれたのが今の学生であって、いやあ、今やオジサンと認めざるを得ないのですが、写真を出させてもらった上に、なんだが、写真という共通項を信じて一言。(くどいな)
写真って、
1.記録写真
写真の消費の中で一番多いのは、なんと工事写真である。ま、報道、証明写真的のものも含め記録写真は、当事者にとって大きな価値がありまさしく「真」を写すものである。
2.記念写真
これをのぞくと、やはり多いのは「記念写真」であろう。記念でなくても家族のアルバムに貼る写真なども含めれば、これは、写真の価値の中で最大級のものである。しかしその価値もやはり家族、仲間内の価値である。
3.趣味的写真
そして残りが、趣味的写真。いや芸術的写真だという方が多いとは思うが僕は「芸術」の意味をやや狭く考えているのでこう定義したい。そして、写真全体の中のほんのわずかなこの分野が、あたかもすべてのように語られるのが写真雑誌をはじめとする写真業界である。
(こう構えてみたところでよくある写真論を見たわけではないので不勉強な点はご容赦ください)
プロの写真家も実は上記分野別にそれぞれ、報道、写真館、雑誌カメラマンと言った形で存在し、人数もだいたいこの順であろう。さらにプロはそれぞれの分野をすべて経験するようなパターンは多いようだ。ところがアマチュアは違う。1.や2.のアマチュアカメラマンなんて聞いたことがない。そこで前述の勘違いが起こる。写真は3.がすべてだと。
さて、皆さんも経験無いだろうか。ちょっと趣味で写真をやっていると、披露宴や発表会の写真を頼まれることが。また、子供が産まれれば、成長するにつれて、イベント写真を撮らなくてはいけなくなる。(それをいいわけにカメラを買うことも;)このとき否が応でも自分の撮った写真が人目(それが恋人や友人、奥さんやお子さんにしても)にさらされ、評価を受ける。僕の経験として、この評価は相当厳しい。写っていて当たり前。いかに綺麗に、かっこよく写っているか、だ。それが写ってなかった、なんて言ったらもうだめだ。
ところが3.は違う。評価するのは、まずは、自分だ。自己満足でもいい。それが趣味たる所以だ。でも・・・趣味であっても向上したい、と思う。でしょう?まして、写真展に出すともなれば、人に見せる中でも一番厳しい。家族や知人なら、思っても言わない、心優しい?人もいる。でも第三者は違う。言われる言われない、それだけではない。金を取るようなことになればそれは、客である。アマチュアであろうが、プロであろうが、人目に出すと言うことは最低限その心構えは必要、と言うことだ。
この心構えはプロの中でも1.2.の分野が一番強いのではないか。3.の分野はこの辺のサービス精神(というと誤解されるがようは客意識)が欠けている人も多いと思う。でもそういう人でも食うためにはいろいろやっているはずだ。だからせめて自己表現の場としてやる、ある意味芸術肌の人も多い。だから技能はあるのだ。当然だけど。
でもアマチュアは違う。やりたいことをやればいいのだから、その中ででも向上していけばいい。だから、せめて、
破れた写真は出すなよ。
それと、
写真って好きですか?
丁寧に仕上げることと型にはまることは違います。
え、怒っているわけではないんですよ。自由な発想の結果、あれでは自分でも不満だったんじゃないかな、学生の皆さん(全員じゃないよ)。自分のイメージどおりにできる技能を身につけることができたらいいよね。あ、僕はずうっとそう思ってるよ。だから趣味が続くのかな。
1999年12月19日
2004.01.20 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
奈良あすか路(1999)
奈良あすか路
先週のことですが、11/21、22、23で奈良へ行ってきました。
今、朝の連ドラで「あすか」をやってまして、(これがなかなかおもしろい=なんでしっている?)娘が石舞台に行きたいと言うのを幸いに、家族旅行と撮影旅行を兼ねて行ってきました。

今年は奈良も紅葉が遅れていまして、もうひとつでしたが天気に恵まれ、綺麗な夕日を見てきました。

また、明日香では何十年ぶりかで貸し自転車で走り回りました。汗かきました。

奈良の写真で有名な入江泰吉氏の遺作が奈良市に寄贈されていて奈良市写真博物館に展示されています。今回初めて見たのですが、昭和30年頃の写真を展示していました。
う・・・ん、これはもう写真の腕とか、地元とかをさっぴいても、この「時代」にとてもかなうわけがない、と打ちのめされました。

ほんの40年前はなぜあれほど、はるか1400年前の景色と溶け合っているのか。逆になぜ今は、過去と対立するようなものしかできないのか。

でも、今回も出来た写真を見ると、不思議な空気感があって、だから奈良はいい町です。
カメラはFM2にしました。フルマニュアルは、気持ちが落ち着き、奈良を撮るには良いみたいです。
1999年12月1日
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野球漫画(1999)
野球漫画
今年も阪神タイガースは最下位に終わり、無事?野球シーズンも終わりました。今シーズンは一度は首位に立ったりして、楽しませてもらいました。でもこの時点でマスコミが、優勝か?等と騒ぎ立てて、にわかファンが大騒ぎしたのがいけなかった。真の阪神ファン程阪神半疑;)でもストーブリーグでだけ話題になるのは止めてよ、大豊、中込・・・。
さて、以前書きましたが、僕が野球に興味を持ったのは阪神甲子園の高校野球と、はずかしながら、「巨人の星」でした。「巨人の星」は、我々の世代では言わずと知れたスポ根(スポーツ根性)劇画であったが、僕が好きだったのは前半の高校時代くらいで、特に後半大リーグボール2号(消える魔球)以降は陰気なストーリーで好きではないです。
この時、主人公、星飛雄馬のライバル、天才花形満はぼんぼんで、大リーグボールを打つし、女性ファンも多く挙げ句に姉ちゃん星明子をものにするはで、どちらが主人公か分からないくらい優遇された存在だったが、なぜその間阪神が優勝できなかったか不思議です。
でも本当に野球漫画で好きなのはちばあきおの「キャプテン」(月刊少年ジャンプ)「プレイボール」(週刊少年ジャンプ)でした。この漫画は、さすがに知っている人は、少ないでしょうが地味ながら意外に人気があった漫画でした。僕がこれを知ったのは1974年頃でしたが自分でも漫画を書くようになった時期でしたから、そう言う作者の目で漫画を見るようになっていました。ストーリーは、
東京の下町、墨谷二中に転校してきた谷口タカオは、野球の名門青葉学園の補欠だったが、墨谷の野球部で青葉のユニフォームを着たばかりに、過度の期待を受け、それに恥じないよう期待に答えようと隠れて練習に励み、いつしか実力を身に付けた。しかし、急にキャプテンに任命され、これに戸惑いながらもやはり努力で成し遂げ、そして青葉学園に勝って全国中学野球大会で優勝する。「キャプテン」はこの後、後輩の丸井、イガラシ、近藤が墨谷二中のキャプテンを引き継いでいく話である。あくまで墨谷二中野球部が舞台で主人公が変わっていく物語だ。
さて、「プレイボール」は、「キャプテン」谷口タカオの高校編である。青葉との決戦で右手人さし指を骨折し、指が曲がった谷口は墨谷高校でサッカーを始めたが、野球が忘れられず、サッカー部でも努力の末レギュラーになったにもかかわらず野球部に転部する。この弱小野球部も谷口の頑張りに触発され地区予選三回戦で強豪東都実業相手に善戦。このとき曲がった指でフォークボールを投げる投手谷口が誕生した。その年、一年生でキャプテンになった谷口は徐々に野球部の強化をはかり、翌年は準々決勝まで進出した。三年の春、後輩丸井、イガラシが揃いいよいよ甲子園へ、と思うものの練習試合で前年甲子園出場の谷中高校に完敗、しかしそのショックにもめげず谷口ら墨谷高校は再始動する。ここで話は終わってしまう。
実に淡々とした話で、「ドカベン」のような甲子園何連破などと言った華やかさとは無縁のなかで当時の読者の支持を集めたのは、普通の学校の野球部が努力によって名門校に打ち勝つところでした。
また普段の練習風景から丹念に描かれ、試合でも劣勢から反撃の流れまでもがわかるようにリアルに書かれていました。
それだけではない。もともと弱小野球部員がいきなり特訓した時のキャプテンに対する反発、不信、キャプテンの自覚、責任という心理描写が見事。そこまでしても最後は負けてしまう無常さ、実際世の中そんなものだ。そしてそこから立ち直る根性。勝つだけの主人公より、負けても立ち上がる主人公の方が好きなのは僕自身のひが目でしょうか。
さらにちばあきおの絵がいいのです。谷口なんか初期の磯野カツオだ。イガラシは猿だし。ともかくとことん簡略化された絵で、劇画や少女漫画の細かさにくらべ余りにも簡単なので絵が下手と誤解されそうですが、そうではない。野球をする選手の動きが実にしなやかだし、フォームもきれいなのです。今でこそましだが当時の水島新司の絵よりよほど野球らしい。
デッサンもデフォルメされているが正確なのです。ちなみに紙を裏から透かしてみて、絵がまともに見えたらデッサンは正確と言って良いでしょう。少女漫画や最近の若手の漫画家の絵は裏から見るとたいてい人の体が歪んで見えます。おためしあれ。
ちばあきおはちばてつやの実弟でしたが、1984年に自殺してしまいました。大変ショックでした。自分の作風が時代に合わなくなったことで悩んでいたようです。声高に根性だの言わなくても朴訥とした中で、努力と諦めない心が滲んでくる。これに共感できるのも時代に合わなくなった証拠なのでしょうか・・・。
1999年11月11日
2004.01.20 in 特撮・ウルトラ・漫画 | 固定リンク | コメント (0)
フィルムスキャナ考-5(1999)
フィルムスキャナ考-5
さて、結構一生懸命書いてしまったこのシリーズですがいい加減にしないと皆さん引いてしまいそうなので今回でいったん完結します。こうしている間に日本シリーズはダイエーが優勝してしまいましたし。(無関係)
6-5.グラディエーション
スキャナの仕様の中に入力8bitとか12bitとかありますが、これは一色あたりの階調(8bit=256階調)であることはご存じでしょう。
パソコンでいうフルカラーとは各色8bitで合計で24bit=1677万色である。
昔まだDOSマシンが16色とか256色とか言っていた頃に、Macでフルカラーが出たのでデザイナーが使いだしたのであるが、今では普通の機能になってしまった。
フルカラーのでないパソコンで使うためにインデックスカラーを用意して256色でも自然画が出せるよう最適なパレットを用意できるようにするソフトもある。フルカラーならこれだけ色があるからその心配はない、と思うでしょう。だったら8bitで十分なはずである。
ところが先述のように一発でドンぴしゃにはスキャンできないので、そこから階調を整えようとレタッチを重ねていくと、トーンジャンプという階調飛び(そのままか)が起こる。
たとえば第三回でお見せした尾瀬の写真を見てみると最初のスキャンの状態a.では暗めになっているのでこの暗い部分を明るくしたい。するともともと0-50だった階調を0-100まで引き伸ばすようなことをすることになる。(この場合明るさの階調のこと)するとデータ量が2倍になるのに、元データは変わらないのだから、その間はひとつおき(正しい表現ではないが)の階調しかない。これがトーンジャンプである。これはソフトで補完することができるが、Photoshopではこの作業を「ぼかし」という名の通り、ぼかして補完するので元絵に比べ劣るのは直感的に分かってもらえるだろう。これがもっとひどくなると補完しきれずにグラディエーション部分ががたがたになる。次の例を見てほしい。

1. 8bit入力(クールスキャン2)

2. 12bit入力(LS-2000)
空のグラディエーションを見てほしい。一目瞭然だろう。
この作例は「尾瀬の記憶」84年7月の写真であるが、朝もやの中でニッコウキスゲを逆光でとらえ、かつ階調が飛ばないような露出が得られた僕としては貴重な;)写真である。なのにクールスキャン2ではどうしても思うようなスキャンができずあきらめていたが、LS-2000ではかなり再現できた。
実はこのあたりはニコン製のフィルムスキャナの弱いところのようで、最近はなかなか良さそうなスキャナも出ている。LS-2000はシャドウには救済手段があるが、ハイライトにはない、と評価されることもある。だがここではハイライトもうまく出せたと思うがいかがだろうか。
6-6.裏技?
最後に僕が重宝している裏技?を公開しよう。もっとも天体写真の本に載っていたことであるが。それはポジをネガの設定で読んだり、ネガをポジの設定で読んだりすることである。どうもこの辺はスキャナドライバのブラックボックスの中なのだが、ネガ、ポジの処理の出来が違うようなのである。例えばネガフィルムはベースが赤いのでそれを自動補正しているところがうまくいっていない、とか。逆にポジはコントラストが強いのにポジだからといって階調いっぱいに引き伸ばして、それを失敗してハイライトが飛ぶ、それをネガ設定にするとシャドウと見なすので階調がつぶれないようにする、ようなことだろうか。これは想像でしかないので誤解の無いように。さらにはLS-2000では、アナログゲインアップはネガでは使えなかったりする。これも使うにはわざとポジでスキャンするしかない。(これは最新バージョンで改善されたようだ)

1. ポジをポジ設定でスキャン

2. ポジをネガ設定でスキャン
なお、これは当然あとでレタッチで反転しているのだが、ほかにも色補正をやっている。だから必ずしもスキャナが原因でこうなるとは言えないが、クールスキャン2からLS-2000という一世代新しい、上級のスキャナに切り替えた結果、レタッチがかなり楽になったのも事実である。
7.まとめ
ということで一応この連載?は終わるが、デジカメばやりの中でフィルムスキャナが今後どんな展開を見せるか、いささか心配である。
簡単、一発が優先される傾向の中で、肝心の原版データ保持性能がどこまで考慮されるか。これまで見てきたように原版データが良いものが見栄えも良いわけではない。するとユーザーの声と称して、スキャナの性能が悪い云々がでてきて、それを写真を知らぬ企画、設計部門がユーザーの声優先だと、見栄えにばかり走る危険がある。
そもそも今まで使ってきたスキャナも、ハードの性能をソフトが生かし切っていない印象を強く受けている。例えばLS-2000だって、せっかくアナログゲインアップという優れた機能を持ちながら、それはネガでは使えない仕様なのだ。これなんかは写真を知らぬソフト屋が、「ネガをゲインアップしたらシャドウではなくハイライトが明るくなるので意味がない」なんて思ったのではないだろうか。(実際はハイライトの階調が出せるから効果絶大)
本当に、最近のカメラやデジカメ何かを見ても「おまえら本当にカメラしってんのかよ」と言いたくなるような仕様がある。ユーザーも写真の撮影方法も良く知らないくせにカメラのせいにする。特にデジカメではパソコンユーザーが初めて買ったカメラ、と言う傾向が強く、呆れるくらいなにも知らないことが多い。このユーザーを単純に統計処理して次期製品の仕様決定に使われたのでは、間違った方向に行くのではないか心配になる。
フィルムスキャナは少なくとも銀塩写真を撮る人を対象にしているのだから、もっと、簡単処理ではなく、手間がかかっても最後は写真再現性を重視した性能を優先してもらいたいものだ。カメラについてはまた書くぞ;)
1999年10月31日
2004.01.19 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
フィルムスキャナ考-4(1999)
フィルムスキャナ考-4
前回はフィルムスキャナの性能は解像度よりも情報量=階調やピントが重要であることを話したつもりだが、御理解いただけたでしょうか。もう少し階調について書いてみます。
6-4.ノイズの悩み
写真とは陰画、撮影というように影が重要な役割を占めている。影の中に何が見えるか、は写真表現の中でも重要な要素だ。ところでスライドからのダイレクトプリントはこの影の部分がなかなか再生できない。
僕は結構これが不満で、スライド原版で写っているものがつぶれていると何とも残念な気になる。だから、スキャナの暗部再現性はかなり気にしていた。
ところが、スキャナにとってスライド(ポジ)の暗部は非常につらい部分である。なぜなら絶対的に透過光量が少ないから、CCDラインセンサにとってはS/Nがもっとも悪くなるからだ。これはネガの場合は逆になる。この例を見てください。

クールスキャン2使用

LS-2000使用

LS-2000-12bit出力後8bit化

LS-2000-マルチスキャンx4
影になった電車の床下機器に注目してほしい。
いずれもPhotoshopでわざと暗部を明るくしている。原版では見えている部分だ。
初めに左のクールスキャン2の結果だが横方向に縞模様が出ている。そして床下機器は見えない。これはクールスキャン2購入時からの不満点で、いくら入力時にトーンカーブをいじっても、このノイズは消えない。クールスキャン2は8bit入出力である。
次にLS-2000だが、こちらは標準で12bit入力8bit出力である。まず一見してノイズが細かく出ているので縞模様よりは目立たなくなっている。ただ、この下に何があるのかは分からない。
次がLS-2000の機能であるが、12bitで出力できる。Photoshopは16bitカラーが扱えるので(制約はあるが)ここでレベル調整をして8bitに落とすことができる。従って暗部の中の情報を強調することができるのだが、やはりノイズがある。
さらに特有の機能としてマルチサンプリングがある。これは同じ原版を何度もスキャンして平均値を出すものだ。こうすることでランダムノイズがキャンセルされる。結果はやはり最も良い。
さらにLS-2000にはゲインアップ機能もある。これは通常より長めの露光をしてCCDにたっぷり光を与えることで暗部の潰れを救済する機能であるが、明るいところが逆に飛んでしまう可能性がある。
何だか宣伝みたいになってきましたが、これよりも良いスキャナも出てきました。マルチスキャンを正しく評価している記事を見たことがないので、このような比較をしてみました。欠点はスキャン時間が4倍や16倍になって何分もかかることですが。
ちょっとテンション保つのが大変になってきましたが、もう少しおつきあいください。以下次号;)
1999年10月23日
2004.01.19 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
フィルムスキャナ考-3(1999)
フィルムスキャナ考-3
6.フィルムスキャンの実際
それでは実際にフィルムスキャナで写真を読みとるとどうなるのか。スキャナの性能に迫る!?。
6-1.スキャンデータは情報量が命
順光で色も豊富な画像は、どんなスキャナでも大体うまく読める。しかし、写真として考えた場合、退屈であって、もっと劇的な写真というのは、色や明るさが偏っていることが多い。
次の画像をご覧ください。
a.ノーマルでスキャン
b.自動色調整でスキャン
c.aにPhotoshop自動調整
d.aに手動で各色ガンマ補正
この写真は「尾瀬の記憶」コーナーの1994年10月17日の写真である。今回改めてNikonLS-2000でスキャンした。大きさが小さいので少しわかりにくいがダウンロードに時間が掛かりすぎてもいけないのでご容赦。
まず、a.がノーマルにスキャンしたもの。ずいぶん暗いが素材として十分な階調を持っている。b.はニコンカラーマネジメントという付属のソフト補正を掛けたもの。暗いのでわかりにくいが少し緑が強くなってコントラストがあがっている。
実はこの写真は紅葉バックで西日の射した白樺を撮ったのでバックは暗い。夜のような写真なのでふつう自動だとしらっちゃけて、西日の赤みを補正しようと青緑っぽく補正されてしまいがちだがこのソフトは夜景と判断したのだろうか。いずれにしても原版とはほど遠い。
c.はPhotoshopの自動レベル調整を使ったものである。見ようによってはかなりいい線いっているが、原版のイメージではない。ただレベルヒストグラムを見てみるとこの中では一番平均化されているはずだ。
d.はPhotoshopのガンマ補正を各色で分けて行った。原版そして自分のイメージに合わせるため手動で行っている。従ってヒストグラムで見ればかなり偏っている。この写真の場合、西日と紅葉で赤方向に偏っていて、白樺以外はかなり暗めだが、これが正解である。
以前「フィルムとスキャナ」で申し上げたがネガカラーのプリントは、c.のようになり、ポジ(スライド)ならd.のようになる。(もっとも撮影時の露出も正しい場合だが)
結構面倒と思われただろうか。注意したいのは一見だめそうなノーマルスキャンでd.のように補正できるだけの情報量を持っていると言うこと。はじめからメリハリの利いた画像のc.やb.(これはまだまし)では補正しても階調飛びを起こしているのでd.まで持っていけないのである。
ただでさえ平均的な(平凡な)写真からはずれていれば、その補正をソフトが自動でやれと言うのは不可能。それならばできるだけ情報量豊富な絵を取ってきてほしいのだ。LS-2000はノーマルでもソースが取りきれない場合、12bit出力やマルチスキャン、アナログゲインアップといった機能があって、特に暗い画像も救済できるようになっている。(後述)
6-2.スキャナ解像度はどこまで必要か
画素の話でもふれたように、スキャンした画像を何に使うかで必要な解像度は変わる。フィルムスキャナの解像度はフィルム上での値である。
たとえばNikonLS-2000の場合、最大解像度2700dpi(ドットパーインチ)であり、2592x3894=10093248ピクセルの画像が最大である。一方フィルムサイズ(24x36ミリ)をA4版(余白を見て180x270ミリ)にすると、7.5倍に拡大することになる。
よってA4プリンタ解像度で2700/7.5=360dpiとなるが、これも前回話したようにインクジェットプリンタでは200dpiもあれば十分である。フィルム上では200x7.5=1500dpi。
実はニコンのスキャナドライバのデフォルトは1350dpiであって、このあたりの解像度が標準として設計されているようだ。ただ商用印刷の場合は150線x2=約300dpi必要とされている。
次のサンプル画像をご覧ください。
e.全体画像
f.1350dpiスキャン画像
g.2700dpiスキャン画像
「阪神電車の風景」で使う予定の淀川鉄橋での写真です。これのナンバープレート周りを実際のスキャンサイズで何も手を加えずに表示してみた。
f.1350dpiの大きさに合わせてg.2700dpiも50%表示にしてある。違いがわかるだろうか。
やや強めのJPEG圧縮をしたためもあって、f.のナンバーの周りがあれているが、圧縮しないか弱めの圧縮ならば、ほとんど見分けがつかないだろう。パーソナルユースの場合は1350dpiで十分だ。
ただ、一方でスキャンは2700dpiで行って、あとから1350dpiに縮小すると、階調が滑らかになる効果が期待できる。ソフトにもよるが、4つのドットが一つになる際、平均化されるからである。このメリットは以外に大きい。
余談だが35ミリフィルムに比べブローニーフィルムや大判が優れているのは解像度ではなく(なぜならカメラレンズの解像度は中版レンズの方が35ミリ版のそれより劣るのである)、階調の豊富さなのである。この効果ににている。
フィルムスキャナの性能を代表するかのように言われるスキャン解像度も、結局2倍の差でもこの程度であるから、2700だ、2800だと気にすることはない。最近は4000dpiなんてのも出ているがここまでくるとデータ量も膨大でオーバースペックと言ってしまおう。ただ言ったようにこれを縮小して階調面に生かせば大いに意義のあることと思われる。
6-3.フォーカス精度は見落としがち
上の写真を見てもしかしたら「ピントが甘い」と思われたかもしれない。事実、なかなかピントがあってぶれもない写真を撮るのは思いの外難しいのだが(カビネでは良くても全紙にのばしてシャープな写真はなかなか)上の写真は(自分で言うのも何だが)スライド映写機で投影して全倍程度にのばしてもピントのきていた写真である。
ちなみにフォーカスはNikonF5のAF・・・;。しかし何度スキャンしてもこれ以上良くならなかった。これはスキャナのAF精度の問題と結像光学系の問題がありそうである。AFはおそらくフィルム面の反射を利用していると思われるがセンサの調整や駆動部の応答、フィードバックのかけ方を想像すると調整がシビアで狂う可能性がありそうだ。
一方、機能の中にマニュアルフォーカスもあるのでAFの出た目から前後にずらしてみたが結果はAFが一番良かった。この結果を信じると、単にピント合わせの問題ではなく、結像光学系の収差、フレアなどが問題となってくる。こうなるとユーザー側では対処のしようがない。
雑誌の比較記事を見ると、特にLS-2000のAF精度が悪いわけではなさそうだが、前のクールスキャン2も悪かった。ただクールスキャン2は初めは良かったので、途中で狂ったのかもしれない。ともかくスキャナのフォーカス精度は重要なのになかなか正当な評価がされていないと思う。案外マニュアルフォーカスの使いやすいもの(初代クールスキャンのような)の方が良いかもしれない。
なお、このくらいのぼけはPhotoshopの「アンシャープマスク」(シャープにする機能)でほとんど直ってしまう。ただ、解像度にこだわってもそれ以下のフォーカス精度では、いくらソフトで補正しても元情報以上のものにはならないので、やはり問題である。
(以下次号;)
1999年10月17日
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フィルムスキャナ考-2(1999)
フィルムスキャナ考-2
4.総画素数とは
画素、というと数字で表れるので非常に客観的で分かりやすい。と、思われるだろうが実はこれが非常に曖昧である。そしてそれをメーカーサイドが悪用して、わざと誤解を与えているような節もある。実例を揚げていくと、まず、一番分かりやすい、ように思われるデジカメのCCDの場合。ビデオカメラでも同じだが、総画素数は実際には撮影に全て使われるわけではなく、有効画素数というのが別に存在する。CCDもいろいろあるが、周辺の素子はデータ転送に使うのでマスクされている。これを勘定するのは少しでも高密度に見せようとするメーカーの悪癖だと思うのだが、デジカメでもいっこうに改善されない。まあ、出来上がりの画素数で判断できることだが。
5.色フィルタは三色
次に、単板式カラーCCDという言葉を御存じだろうか。対しては三板式、二板と言うのもあるようだが。色は光の三原色(RGB)か、色(反射光)の三原色(CMY)で構成される。
ところがCCDなどの受光素子は光の強度しか分からないから、その手前に色フィルタをかける。この色フィルタは原色の場合と補色の場合がある。デジカメでは評論家がどちらがいいなどと言っているが、処理さえ完璧ならばどちらでも色再現はできる。この辺はポジフィルムとネガフィルムのことを言っているみたいで面白いが、処理の複雑な補色系フィルタが色再現では不利、解像度、感度では有利といえるだろう。
画素の話に戻すと、一つの画素に一つの色フィルタをかけて初めて一つの色に感じる画素になるので、当然、一色当たりの画素数は減る。三つの画素が合わさって初めて一つの色が表現できるのだ。フルカラーとはパソコンの世界では1ドット当たり24bitカラー(各色8bit)=1677万色だ。しかしCCDの一画素は一色のみ8bitしかでない。一色当たり1/3の画素、実際には人間の目の感度に合わせGがおおい。
ベイヤ配列という原色フィルタではR:G:B=1:2:1。補色フィルタではC:M:Y:G=1:1:1:1。C+Y-M=Gで作れるにも関わらずGを追加している。従ってGが1/2画素を占めるから、人間の実効感度に合わせおまけしても、解像度に関しては有効画素の1/2である。この入力を内部処理して有効画素分のデータに置き換えている。
一方、スキャナでは光源のフィルタを切り替えて(ニコンクールスキャンでは光源を切り替えて)1ドット当たり24bitカラーを得ている。(ただワンパススキャンとなった最近のスキャナは別だが)
どうだろう。始めから画素数なんて同じ次元では語れないのだ。デジカメはスキャナの良くて半分・・・。これだけでもフィルムスキャナは有利なのだ。
ちなみに、インクジェットプリンタは1ドット当たり一色しか表現できないうえ、CMYK、黒を含むインクであるから1/3~1/4相当。しかもエプソンのプリンタはドットを目立たなくするため、薄いCMYも使うので1/6~1/7。1440dpiでも240~200dpi相当だ。前回のA4印刷で200万画素相当、はこれを考慮した上での話である。なお、昇華型プリンタでは1ドット当たりフルカラーなので額面通りの解像度である。で、これは写真の場合で、文字の場合は1440dpiはそのまま効きます。昇華型はここが不利。
さて、次回から、いよいよフィルムスキャナの性能について作例を出しながら説明します。うーん、大変かな。
1999年10月3日
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フィルムスキャナ考-1(1999)
フィルムスキャナ考-1
表題から期待される程の知識はないが、ここ4年程フィルムスキャナを使ってみての感想みたいなものを書いてみましょう。
1.スキャナ導入までの変遷
’91年頃そもそも僕がMacを買った理由には今まで撮りためた写真の整理があった。だからこそ24ビットカラーがはじめから必要だったし、当時無料でもらえたPhotoshop1.5?デモ版をいち早くインストールしてみた。写真の取込みは最大の問題であったが、ビデオキャプチャーボードとフォトカメラ(タムロンでも出ていたが、ソニー製のフィルムコピースタンドに35万画素ビデオカメラを付けたようなもの)で可能となった。
だが、当時からフィルムスキャナに注目していて、’91年7月にメキシコで撮った皆既日食も将来的にスキャナで取り込んで合成することを前提に撮影した。内コロナと外コロナの光量差は10000倍以上あって通常1枚の写真では写らない。そこで段階露光して、階調圧縮、合成してしまおうという魂胆だ。それも当時100万円以上したNikon製フィルムスキャナを、Nikonのショールームまで休暇を取って行って、そこで使わせてもらい、さらに昇華型プリンタで出力してもらった。これは「月刊天文」に記事として掲載された。(ホームページ「星の家頁」へどうぞ)当時は考えてはいてもできない人がほとんどで、実践して発表したのは僕が最初だと自負している。実際、最近の日食の写真はかなりがこの手法(もっと洗練されているが)を使っている。
その後、初のパーソナルユーススキャナがNikonCoolscanで25万したが手が出なかった。長女の写真をきれいに取り込みたくて;)買ったのが NikonCoolscan2であった。4年前で10万以上した。そして最近、報告したようにNikonLS-2000(Coolscan3の上位機種)を購入した。最近ではデジカメも200万画素以上でダイレクトにパソコンに取り込めるようになって、フィルムスキャナにどれ程投資する価値があるか疑問に思う向きもあろうが、僕なりに理由があっての買い換えであった。
2.画素数比較
さて、VS調に書くと面白いが、そうそううまくいきそうにないのでまあ単に比較と言うことで、いまデジタル画像を作るとしてどんな方法があるか、考えてみる。まず、いまはやりのデジカメ(デジタルスチルカメラ)は、つい3年前には35万画素が全盛であった。これは640x480ドット=約31万画素を生成した。それが昨年のメガピクセルでは130万画素で1350x900=約122万画素、最近の200万画素では1800x1200=約215万画素、来年は300万画素の声も聞こえる。
一方、僕が最初に採用したフォトカメラはビデオカメラと同じで約35万画素である。ただし、NTSCビデオ信号に変換した出力が、ビデオキャプチャカードでふたたびデジタル変換されるのでそのぶん差し引かなければならない。ちなみに初期の35万画素デジカメはビデオ用の転用が多く、正方画素でなかったので歪みの出るものもあったと言う。
ビデオカメラと言えば、今はデジタルビデオ全盛である。これは初期のものを除くとデジタル出力でき、IEEE1394(FireWire)で直接パソコンに取り込める。デジカメとしては高価だがビデオカメラとして考えればデジカメ機能はおまけである。そして、僕が今注目しているものに、ソニーの100万画素デジタルビデオがある。これはビデオ性能は他と変わらないが、デジタルスチルカメラとして100万画素の性能と言う点が注目である。
フォトCDというものもある。大手の写真屋ならばネガ、ポジを持ち込めばCD-ROMにしてくれる。これは現像所が高性能スキャナで読み取ってくれるもので、フィルムスキャナの分類かも知れない。ただしプリント現像と同じくあくまで標準処理される。
スキャナと言えば普通はフラットベーススキャナである。たとえばサービス版(120x80ミリ)は600dpiでスキャンすれば約2800x1900=530万画素となる。最近は1200dpiもざらだから2000万画素、プリントサイズが大きければさらに増える。ただし基本的にはプリントなど紙媒体をスキャンするので、以前述べたようにすでにプリントは原版のデータ量を失っているので、それ以上になることはない。
そしてフィルムスキャナである。35ミリフィルムスキャナで2700dpiが標準である。約3750x2500=940万画素相当である。実際には僕自身は2700dpiでスキャンするとパソコンの処理やハードディスクの容量の限界から1350dpiでスキャンしてきた。最近ではその心配も少なくなったとは言え、枚数が増えればやはりいたい。1350dpiでは220万画素といったところか。
どうだろうか。単に画素数で比較した場合、フィルムスキャナより安いフラットベーススキャナの圧勝であり、僕の使い方では200万画素デジカメが追い付いている。画素数以外の要素が実は大きいことをお話したいのだが、後半にまわすとして、今回は画素数で話をまとめる。
3.画素数がすべて?
銀塩写真(いわゆる普通の写真)はフィルム上で何万画素になるのか?これは結構難しい問題で専門家でも意見が分かれる(それだけ要因が多い)が大雑把にいって35ミリ版で800万画素以上といわれる。これはどちらかというとレンズの解像度100本/ミリからきた数字で、さらにはプリントして対角の何倍だったかで離れて肉眼で見た時の分解能からきている(と思った、たしか)。ところが写真にも解像力以外にMTFなどの定義があって、これだけでは決まらない。とはいえ、画素数ではフィルムスキャナ最高解像度がほぼ必要十分で、600~1000万画素のデジカメであれば35ミリ版と同等である。
ここまで長く読んでいただいて、最後に落とすが、それで、画素数ってなんなんだろう。だって200万画素の画像をモニタ上に一度に表示できる人が何人いるだろうか。22インチ液晶でも入らない。結局写真をどうやってみるかなのだ。インクジェットプリンタで720dpiを生かすにはA4サイズで200万画素相当は必要である。最近は1440dpiだがA4にしたら1440dpiもいらない。あれははがきサイズの話だ。普通はそんなわけで、僕の結論は、モニタ画面で35万画素、A4プリンタで200万画素、そして・・・写真はやはり銀塩写真が当分は良さそう、ということである。
ちょっと最後が舌足らずでしたが、また次回;)>フィルムスキャナ考-2へ
1999年9月25日
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平成ウルトラマン様-2(1999)
平成ウルトラマン様-2 (ちょっと濃いかな)
(前回の続き)
なかなか文章で伝えるのは大変だが、すこしは雰囲気が伝わっただろうか。
昔よりも映像はリアルに、ストーリーもリアルになっている。しかし、いまどきこんな子供はいないというくらい純粋な子供と、最後のご都合主義・・・このあたりがニフティなどでマニアのやり玉に上がったところなのだが、おそらくスタッフもそれを意識した上であえてこうしたのだと思う。僕の解釈は・・・。
昔の子供と今の子供、なにが違うというのか。昔だって幼稚な子供番組を見れば見抜くし、純粋とはほど遠い子供も多かった。ただ、ストレートな正義とは何か、というのは子供の世界にはあって、たとえそれが嘘とわかっていても、その世界に逃げ込めた。
あのころだって社会不安は多かった。ベトナム、全学連、冷戦、公害・・・・。ある意味、漫画やテレビの作り手が未熟だったとも言えるが、子供の世界にそれはあからさまには出さなかった。
今は、その点、子供番組を見ても(NHKであっても)不安、破滅、死がいっぱいだ。いやそれは昔もそうだったし、子供番組だからいかんというつもりはさらさらない。ただ、最後に「正義は勝つ」だったのが、今は「正義」がない。
1999年7月はとうにすぎたが、人類の滅亡後に、いくら愛だ、正義だ、いわれても、それは後の祭りというものだ。
はっきり言おう。僕は「北斗の拳」は嫌いなのだ。社会に立ちこめる厭世観、閉塞感がそのまま子供社会にも蔓延している。今こそ大人は子供にとってのウルトラマンでなくてはならない。
ウルトラマンであることは本当につらい。
いろいろな矛盾をかかえながら戦い続けるのだから。そして子供にその希望がなくなったとき、本当に破滅が来る。これは自明のことなのだ。
平成ウルトラは僕にとって、子供番組としての見方とそれを受けての親の立場での見方の両方ができた番組であった。そして脚本家やスタッフも僕と同世代であると知って、きっとそういう気持ちだろうと合点してしまうのであった。
「ティガ」のあと、「ダイナ」は幼稚園児以下を重視した結果、この視点がぼけてしまったが、最終作である「ガイア」では力の入った展開が見られた。
その最終回では、・・・「根源的破滅招来体」の生体兵器「天使」は二人のウルトラマン「ガイア」と「アグル」から「光」を奪い、変身できなくなった彼等に、戦闘チーム「XIG」と天才集団「アルケミスターズ」は地球怪獣から発せられた「光」を戦闘機に搭載したシールドバリアで反射、集光して「光」を再び与えた。変身したウルトラマンが「天使」を倒す。・・・という展開で「ティガ」に似ていたのは御愛嬌だがより人間の努力が強調されたストーリーであった。
最近ではばかにされるようになった努力とがんばり・・・。そんな風潮がこの閉塞感、無力感を生み出す。それに対し愚直に立ち向かった平成ウルトラシリーズに改めて拍手をおくりたい。
1999年9月15日
2004.01.19 in 特撮・ウルトラ・漫画 | 固定リンク | コメント (0)
平成ウルトラマン様-1(1999)
平成ウルトラマン様-1
ウルトラマンガイアが先日、終わった。
一年間の放映であったが、3年前、ウルトラマン生誕三十周年記念として、ウルトラマンティガが始まり、ウルトラマンダイナ、そしてガイアと続いた、通称「平成ウルトラシリーズ」の最終回でもあった。
ウルトラマンは円谷プロダクションによる特撮テレビ番組の草分けではあるが、そのイメージは強烈で、30台後半~40台前半の世代にとって多かれ少なかれ記憶に残っているのではないだろうか。そしてウルトラセブンがキャプテンウルトラ(これは円谷ではない)をはさんで放映された。この二人の超人は余りにも有名であるが、それ以降も数々のウルトラが作られたことはどこまで知られているだろうか。
個人的には帰ってきたウルトラマンが好きだったが小学5年の頃で、小学1年の頃セブンが終わって、しばらくブランクがあったので予告から心待ちにした記憶がある。
このあたりは世代によって若干の違いがあるが、やはり作品の質の高さから言って、ウルトラマン、セブンが最高峰とされてきた。新ウルトラは徐々に低年齢層化しいつしかウルトラは三歳くらいを対象にした幼児番組として認識されるようになってしまった。
ということもあって、近年のウルトラはあまり見ていなかった(近年では海外製作のグレート、パワードがあってそれなりの水準であったのだが)ので、ウルトラマンティガが始まる時はたまたま新聞の番組欄で紹介されたから見たのであった。
ティガになるダイゴ隊員はV6(と言っても分からないか?ジャニーズ系グループです)のメンバーである長野博、ヒロイン役で吉本多賀美(ウルトラマンハヤタ役の黒田進の実娘)で、演技は下手で;)ストーリーも?であったが、特撮を見て鳥肌が立った。特撮監督は高野宏一で、ウルトラマンの頃からのベテラン。新しいウルトラマンはシンプルで美しくさえあった。怪獣もあくまで巨大生物でシャープな外観(著作権の問題で写真でお見せできないのが残念)。
それでもまだ疑心暗鬼?でしばらくは見てみるかと、ビデオに撮っておいたが、第三話になる「悪魔の預言」を見てこれは続けて見てみようと思った。小中千昭脚本の話は細部はさておき、台詞や設定がこっている。(いきなり要求を突き付ける侵入者に)「まずは自己紹介するのが筋じゃないかしら」「さすがGUTSの隊長さん。ユーモアがお有りだ。」(ちなみに隊長役は高樹澪)。(ウルトラマンに)「君は招かれざるものなのだ」。部屋から警察の指紋照合システムにアクセスしたり、セキュリティシステムと会話したり。そして夜間の戦いの映像がまた美しい。
必ずしもすべての話がいいとは言わないが、ウルトラマンの存在意義を考える「うたかたの・・・」「拝啓ウルトラマン様」(川崎監督作品)などストーリーにも優れた作品が創造された。そして最終回「輝けるものたちへ」では世界は闇に包まれ、30代と思しきサラリーマンふうの男は「どうせもうだめだ」とつぶやく。絶望の中、敗れたウルトラマンを救うため特捜チームが全力をつくし、あと一歩で失敗、そのとき中継を見ていた子供、大人の世界中の諦めない心が光となってウルトラマンを復活させた・・・。(つづきへ)
1999年9月10日
2004.01.19 in 特撮・ウルトラ・漫画 | 固定リンク | コメント (0)
フィルムとスキャナ(1999)
フィルムとスキャナ
僕の写真はほとんどがポジフィルム(スライドフィルム)で撮っている。
これは学生の頃、先輩から「カラーをやるならリバーサル(これもスライド)でないと」とか、写真の指南書にも「リバーサルで露出とフィルタの技術の収得ができる」と書いてあったからで、そして実際にポジフィルムで撮った写真はネガカラーの写真よりも色乗りが良く撮れるからである。
ポジフィルムは実はネガカラーよりも同一感度(ISO100)で種類が多い。フィルムの話をしていたらきりがないのであるが、前述のすべてに通じることはポジは一発勝負である、ということである。なぜならポジは基本的にスライドとして見るので、撮影と現像の工程しか踏まない。
え、ネガは違うの?と思った方は、実際に現像したことのない方である。ネガは撮影、現像でできるものはあくまでネガなので、プリントのため露光、現像が必要になる。なーんだ、と思うなかれ。(なんか大袈裟だな)ネガカラーの場合、観賞するプリントはネガからの露光時に色フィルタで付けた色なのだ。
しかもこの色の判断はラボマン、人がやる。それならまだましか。自動機で出たなりって所が多い。さらにこの自動ってのが曲者で、基本的には色の三原色(シアン、マゼンダ、イエロー)が均等に混ざったものが最良としているらしいので、青空だけ、夕焼けだけ、草原だけ、といった写真はありえないことになってしまう。木漏れ日やシルエットだってあり得ないことなのだ。結果、どんなに良いカメラを使ってもできた写真は、みんな白とびしたような日なたとべったっと黒く潰れた影の写真になる。
で、ポジはそういった工程がないのでカメラとフィルムの性能で決まる。いや、本当はフィルタワークを含めた腕で決まるのだが;)ちなみにはやりのデジカメも普通の人はネガカラーと比較して「デジカメは綺麗だ」とかいっているのであって、ポジフィルムをつかえばそれ以上に目からウロコ状態になると思うのだ。
ところが、また、良いことずくめのようなポジフィルムも、フィルム自体の性能(露光許容度とか粒状性とか)はネガフィルムに一歩譲る。技術的理由は良く知らない(おそらく光の原色RGBから補色CMYに変換する効率からくるのだろう)が、皮肉なものである。なにより露光許容度、ダイナミックレンジが狭いのは情報量欠如という意味で致命的である。
最近は印刷技術の進歩で製版もネガフィルムでOKになってきて(昔はフォトコンテストにはスライドでないと駄目だった)、報道写真が白黒を使わずネガカラーになったこともあって製品開発はネガカラー全盛である。これはデジカメでも言えることで原色系フィルタと補色系フィルタの違いにつうじるのだが、勉強不足により中断。
で、スキャナはプリントからではなくフィルムからでなくてはいけないのである。ところが、である。フィルムスキャナによって、撮影者自身がオペレートできるようになると、プリントのラボマンを自分がやるようなもので、自分の納得が行くまで色調整ができる(でもこれがむずかしいんだが)ので、フィルム自体の性能の方が重要になってくる。
すると、今後はネガカラーで撮った方が良いのか?すくなくともパソコンモニタ上で見る限りではネガカラー+フィルムスキャナが現時点で最強の組み合わせである。それもフィルムサイズCCDの一眼レフデジカメには即時性などで負けるが。
そんなわけで当面は性能の良いフィルムスキャナが不可欠、と思い、NikonLS-2000を買ってしまった。いままで前振りして、いいたいのはこれだけかい!とは言わないでほしい。図星だから・・・;
1999年8月26日
2004.01.19 in 写真・カメラ | 固定リンク | コメント (0)
阪神甲子園(1999)
阪神甲子園
御盆休みも終わって、少し秋めいてきました・・と言いたいところですがまだまだ暑いです。
学生の頃はこの時期、必ず神戸にいました。阪神電車のページにもあるように両親の実家が神戸にあり、阪神電車が好きだったので駅名についてもだいたい小学生のうちに覚えてしまい、甲子園と言う変わった駅名も知っていました。
が、それは甲子園線という古い路面電車(小学生には茶色い路面電車はかっこいいとは思えなかった)にのって甲子園阪神パークへ行くのに使う駅でしかなかったのです。
ところで僕が野球に興味を持ったのは小学校3年くらいで少し遅いのですが、このきっかけがまたマンガでした。幼稚園の頃には神戸には大学生だった叔父がいて、自分も読みたかったのか僕が行くと「少年」とか「少年画報」とかを買ってくれて(ちがったかなあ。僕が祖母に買ってもらったのを叔父が読んでいたのかも知れない。)これに「**甲子園」という題名に甲子園が入った野球マンガが必ず載っていた覚えがあり、決め手は「巨人の星」第4巻を読んだからでした。(4巻は星飛雄馬が青雲高校で甲子園に出場し、左門、花形と戦い、血染めのボールを投げ続ける巻です)
ここにでてくる甲子園があの阪神の甲子園とは判らなかったのですが、小学校5年のとき神奈川代表の東海大相模高校が初出場で優勝した時準決勝、決勝を見に行って、翌年は同じく初出場の桐蔭学園が優勝したのを見て、毎年高校野球を見に行くのが習慣となりました。野球マンガ好きは高じて、自分で書くようになり、あげく自分でやってみなくては判らんと(軟式でしたが)高校のとき突然野球部に入ったりしました。まあ、そんな心がけですから補欠でしたけどね。
ところで阪神甲子園球場は旧制中学野球全国大会のために阪神電鉄が建てた球場で、大阪(阪神)タイガースはあとから出来たのです。従って高校野球のために阪神が甲子園を明け渡すのは当然のことなのです。「死のロード」といわれ、このため阪神が優勝できないなどと言われますが、今年の阪神を見てもその前から脱落しており、関係ないでしょうね。;(
今年の神奈川はうちの奥さんの母校が決勝に進出し、もし間違って甲子園に行こうものならいまごろ甲子園で応援か?去年は横浜高校優勝でしたが見に行けませんでした。今年の桐蔭は27年目の優勝なるか?この時期、神戸は本当に暑いです。高校球児はいつのまにか自分よりずっと年下になってしまいましたが、いつの時代もがんばってほしいものです。
1999年8月17日
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尾瀬の夏(1999)
尾瀬の夏
夏休みに入ると同時に尾瀬へ行くことにした。5年振りになる。このホームページにわざわざ尾瀬のコーナーを設けたのもそれだけ尾瀬の風景に対する思い入れが強いからであるが、これをきっかけにまた尾瀬に行く口実?をつくるためでもあった。で、それがかなったわけである。今回も大学写真部仲間のT氏と同行した。
今回の山行は全く天候に恵まれた。しかし暑かった。夏の尾瀬と言ったら涼し気ではあるがそうでもない。やはり湿原で、湿度が高いからであろうか。しかし、今回は例年よりも暑く感じた。それが僕の体力低下、ばてによるものかどうかは分からないが。いままで何度も尾瀬に行っているが、尾瀬にある山、至仏山と燧ヶ岳のうち、燧ヶ岳には登ったことがなく、尾瀬がすきなわりには不真面目な?登山者であったが、今回はじめて登ることにした。
夜中に御池の駐車場について、仮眠を取り、ここから登り出す。想像通り日頃の無精の結果、汗が止まらない。久しぶりに持つ17キロのザックが何倍にも感じる。本当に登れるか不安になった。結局3時間半のルート時間を4時間半近くかかって登り切った。燧の頂上はふたつあって,俎山品(まないたぐら、山冠に品の漢字)が三角点のある2346mで柴安山品は2360mであるが、ルート上前者に登った。本当は両方行くのがよかったのだが、一旦数十mも降下してから行くので片道30分かかる。が、それ以前にばててとても行く気にならなかったのが本当だ。それでも山頂からの尾瀬沼と尾瀬ヶ原の展望に満足した。しかし下りは登り以上に疲れてしまった。やはり日頃の運動不足のためかなあ。中高年登山者が多いから歳のせいにできないのが辛いところ。またルート上はハチ、アブがやたらと多い。暑さと一緒にまとわり付くようだ。
尾瀬沼のほとりの長蔵小屋に泊まり、早朝、沼越しに大江湿原の朝靄を見るのが楽しみの一つだ。この大江湿原は例年なら8月上旬までニッコウキスゲで覆われているはずなのだが、それが7月20日ごろピークに終わって、ほとんど残っていない。夕方は曇ってしまって夕焼けにならず。
翌朝は快晴であったが、いつもなら大江湿原から沼まで朝靄が流れてくるのが、奥の方に留まっている。それでも90年代で見た朝靄の中では多く出た方か。朝の自然観察会に参加。尾瀬ビジターセンターというのが長蔵小屋の前にあって環境庁が運営している。そこでやっているものだ。花の名前はなかなか覚えられない。オゼヌマアザミとノアザミの違いとニッコウキスゲの花びらが3枚、他の3枚はがくだということを知った。
尾瀬沼南半分をまわって尾瀬ヶ原へ移動。しかし暑い。
尾瀬ヶ原は原の中程、中田代にある竜宮小屋に泊まる。ここは写真を撮るのにロケーションが良いのでいつも混んでいるが、今回は6畳間に3人。今までになくすいている。長蔵小屋でも言っていたが、今年は熊騒ぎ(春に東電小屋付近で夫婦が襲われた)と交通規制強化(観光バスが七入までしか入れないなど)で人が減っているとのこと。夕方は夕焼けになりそうでならない。翌朝は濃くはないが良い朝靄がでて久しぶりに気合いを入れてシャッターを切る回数が増える。おかげでここでフィルムを使い切ったが後悔はなく、満足した。
帰りは裏燧林道を通る。長いが楽な道、のはずがばててしまう。途中熊らしき足音を聞く。人間より大きな四つ足動物の駈け去っていく音だ。結構驚く。また美しい田代が途中にあるが暑さとハチ、アブのため立ち止まる気にならない。日陰がないのだ。御池の駐車場に着くとほっとした。かなり精魂使い果たしたかんじだ。尾瀬でこれでは・・・。しかしこのあと檜枝岐で風呂に入って蕎麦を食って帰ったころには充足感があった。
ということであったが、今年の尾瀬の夏は僕の知っている6年前までより2週間くらい先走っている感じだ。ニッコウキスゲは一気に終わってしまうし、ハチは多いし。ビジターセンターの学生説明員はニッコウキスゲについてはこんなものだと言っていたが、もしかすると彼女が見たこの数年はこんなものだったのかもしれない。とするとここでも温暖化の影響がでているのか?
で、そのあと家族をディズニーランドへ連れて行って罪滅ぼしをしました。また、庭先に蜂の巣ができ、除去しましたが罪滅ぼしはまだ終わっていないのかあ? ;)
1999年8月4日
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たくさんあって・・で、衝動買い;)
たくさんあって・・で、衝動買い;)
iBookやオールスターやなんだかんだで書きたいことはいっぱいあるけれどちょっとまとまりが付かないので書けません。
高校野球は地区予選一回戦で母校が負け、前半戦の阪神は借金6と野球に関しては今月はだめ。また来月はいいこともあるか?
横浜のカメラのキムラで中古のAFNikkor35-70/2.8 Sを30000円で買った。定価が90000円くらいだったと思うから(いまのDタイプで100000円強)中古の中でもかなり安い。駅ビルのカメラ屋でも26000円(ちょっと中のレンズが汚れていて止めた)からあって、安値で定着しているらしい。きゃぱでさんざんけなしてくれたからなあ。801と同時期に発売された頃はズームのf2.8は貴重な存在で、画質もよく、プロも愛用していたが28-70のズームが出てから、きゃぱでさんざん魅力がないとかけなしてくれて、おかげで安く買えました。それ以上はまだ使ってないのでなんとも言えませんが。それにしてもこの雑誌、なんとかしろよ。情報として自分で判断しているから良いけれど、こう好き勝手言って、あげくメーカーに影響を与えるようだと、間違った方向へ行きかねんなあ。大体28-70/2.8なんて重くなり過ぎなんだよ。
100人目はどなた?
1999年7月26日
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デジカメと星-2(1999)
デジカメと星-2
冷却CCDカメラは天体写真分野を席巻したようになっていて、銀塩で残っているのは中判で広視野の星野写真くらいである。まだまだ銀塩にも価値があると信じたいがともかく雑誌に出ているほとんどがそうなのだ。
さて、惑星写真はかつてはTP2415に水素増感というフィルムが最も使われていた。これはコピー用超微粒子フィルムが赤外側に感度向上したものである。太陽光の反射光である惑星には好都合なわけだ。冷却CCDでは特に赤外側に感度が高いこと、階調が豊富なことが有利である。しかし惑星写真の場合、冷却CCDの冷却効果があらわれる1秒以上の露出は不要な場合が多く(この高感度が大気の揺らぎを受けず有利)全画素読み出しの普通のCCDデジタルカメラでも良いのではないか、というのが僕の考え。
また恒星のような点像と違って、惑星は強拡大で撮影するが、もともと惑星の直径が、大きい木星の場合でも45″程度で、口径15cmの望遠鏡の分解能は0.8″程である。分解能の定義は2つのエアリーディスクが近接して並んだ時の回折の第一極小が隣のピークと並ぶ時となっているが、早い話、その谷間がピークの85%になっているときである。この間隔にいくつドットが並べば違和感なく見えるか、というのがCCDで写す時の問題になる。
世間一般の経験的にSBIG社ST-6という冷却CCDカメラで写した木星は必要十分な解像度とするとST-6が375x242ピクセルであるから、(ST-6のCCDは780x488で2x2ピクセルを1ピクセルと扱っている)短辺方向の1/2程度に拡大しているとすると242/2=約120ピクセルとなる。1ピクセル=0.375″、0.8″間に2.13ピクセル並ぶことになる。ST-6は9万画素であるからデジカメの200万画素などは惑星に対しては過剰とも言える。しかし分解能に対し滑らかな画質のためには2.5ピクセルではこころもとない。せめてこの倍は必要ではないか。とすると40万画素。まわりくどい言い方になったが、長焦点強拡大撮影の場合は、望遠鏡の分解能から言って銀塩は無駄に粒子があって、CCD40万画素以上あれば十分と言える。
そうなるとデジカメと冷却CCDの戦い;)となるが、分解能はデジカメの圧勝だから観点として感度と階調性になる。話としては冷却CCDの量子化効率は50%、フィルムは0.8%程度で60倍とか、実測で10倍とかいわれている。ところがデジカメの感度はISO100程度と低い。冷却CCDとの差がなぜ生じるのかよくわからないが、ひとつは1/2インチサイズに200万画素を押し込んだため1ピクセルの大きさが小さいことが考えられるが、では35万画素のデジカメの感度がISO6000!という話も聞いたことはない;)。
また冷却CCDST-6は16bit65536階調に光量に対して正確に比例して反応する。もっともこのために解像度にくらべデータ容量が極端に大きくなるが。デジカメはCoolPix950でも白飛びがどうのとか言われるくらい意気地がない;)。ただこれはデジカメ内で画像処理してしまうためであろう。そもそもパソコンでは8bit(1色あたり)であるし、なまじ16bitなんて出すと、おそろしくねむい(コントラストのない)画像となる。一般写真であっても少しねむい方が後処理しやすいのだが、どこだかのフォーラムの自称大家;)がCoolPixの色は青いだのねむいだの言ってメーカーもそれに迎合したりするからまったく困ったものだ。
つまり今のデジカメはコンパクトカメラやレンズ付きフィルムのように初心者、無精者相手だから写真を趣味にしている人は手を出しにくい。デジカメも高級1眼レフタイプは生(RAW)データが出せるものも出てきたから楽しみではあるのだがいかんせん手が出る値段でない。
ということで惑星写真には今のデジカメはまだ不向きだと思う。が、CCDは惑星写真に適しているので今後に期待ですか。最後に今後出る一眼レフデジカメではCCDがAPSフィルム並みになったことはカメラレンズにとっては非常に良いのであるが、こと惑星写真では小さいCCDが有利である。それは望遠鏡の拡大率を低くできるので、実質の感度が上がったことになるからである。こう考えると一般撮影も考慮して、以下の仕様のデジカメが欲しい。
・レンズ交換可能、一眼レフマウント互換
・1/2インチサイズ、130万画素CCD(ほんとは50万画素で十分だけど一般写真が困るし;)
・生(RAW)データ出力可能、12bit以上の階調(PhotoShopはこれが限界なのだ。Winにはあるけど;(
・10万円以下(これ大事;)
今さらこんなの出すとこはないだろうなあ。図面描くからだれかつくんないかな;)
1999年7月12日、13日訂正
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デジカメと星(1999)
デジカメと星-1
天文ガイド8月号にデジタルカメラで星を撮るという記事があった。(Tもと君情報ありがと)前からデジカメで星が撮れるのかもくろんでいた僕としても興味があるところであったが基本的にはまあ想像通りだった。結論から言ってデジカメで撮れそうなのは月と惑星だ。
デジカメは、未だに方向性を探っている段階でこれから先どうなるのか、どうなるべきなのかわからない。撮影画像の利用方法と、画素数、レンズ性能、CCDの大きさ、値段などなど、どこに最適解があるのか模索することになるだろう。この件については前から興味のあるところであるが、おいおい考えをまとめていくことにして、とりあえず、天体写真で考えて見る。
一言で言って、僕が欲しいデジカメはレンズ交換のできるデジカメだ。これが一眼レフデジカメのことかと言うと必ずしもそうではない。なぜならデジカメは液晶によるファインダがついているので、レンズをとおした画像は確認できるからである。
なぜレンズ交換式かと言うと天体撮影用のためだ。天体撮影にもいろいろあるが特に天体望遠鏡にカメラを付けて撮るにはレンズが外れた方が良い。レンズ付きのカメラの場合、コリメート撮影法になるが望遠鏡の口径比とカメラの口径比を考えないとケラレが生じることがあり、撮影解像度もカメラレンズの影響を大きく受ける。単純に言えば撮影光学系は単純な程良い。それに天体望遠鏡の中心解像度はカメラレンズの比でない程良い。平坦性は劣るが。
こう考えると惑星は中心解像度重視なので天体望遠鏡に適し、星野、星雲は画面の角まで星の形が崩れては困るのでカメラレンズが適していることになる。実際星雲などを撮るには望遠鏡もカメラレンズに似た光学系の望遠鏡を使う。先にも言ったように今のデジカメは月、惑星に向いているから望遠鏡に付けたいわけだ。僕は知人からデジカメを借りて木星、土星を撮ってみてかなり良い感触を得ている。やはり前から惑星写真にはデジカメは使えると見ていた。このへんはCCDの画素数にもよるのだが、以下次号;)
1999年7月10日
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七夕(1999)
七夕
今日は7月7日、七夕でしたね。梅雨のこの時期にしては良い天気でした。
おりひめ星とひこ星は見ましたか。この時期は夜半前にはまだ二つの星は東側に見え、特にひこ星は高度はまだ低いので明るい空の元ではぱっとしません。織姫星をベガ、ひこ星をアルタイルと呼ぶのですがベガが0.0等星、アルタイルが0.9等星で数字上も女性であるベガの方が明るいのです。また小学生の頃プラネタリウムで聞いた覚えがあるのですが、アルタイルからベガまで16光年距離がありますから光速で16年かかるので、一晩で行き来するにはワープ航法で、ということでしょうか。
ところでこの七夕伝説をみなさんどこまで知っているでしょうか。この間の日曜日に子供の幼稚園で七夕祭りがあったのですがそこで先生が劇をしていまして、また、うちのかみさんもそうだと言ってますのでこれが定説なのでしょうが、織姫と牽牛が別れた理由は織姫が結婚後はたを織るのをさぼったからだそうで、新婚でいちゃついていたからだそうで。いやあ、僕は中国版ロミオとジュリエットと思っていたのでなんだか情けなくなってしまいました。日本に七夕の風習が来たのは遣唐使のころだそうですが、笹飾りは江戸時代とも聞きました。風習というのもいろいろ混ざりあっていて、本当はそんなに厳密なものではないことが多いですね。結納や結婚式なんかその典型で・・・・、おっと七夕の夜にはふさわしくないですね。
1999年7月7日
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原点(1999)
原点
先日、会社の知り合いと待ち合わせて、新宿にある天体望遠鏡ショップ、Newtonへ行ってみた。ここへは初めて行くのだが場所は超高層ビル街のとなりでありながら、いきなり下町風情の一角にある。少し前に地上げで問題になったのはたしか都庁の先だったと思うがこの辺りもそうであったのではないだろうか。この日、Newtonは特価品セールで中古品や展示品が定価の半額くらいで売られていて、狭い店鋪は人がいっぱいであった。この店はミード(アメリカの望遠鏡メーカーで、以前工場に行ったことがある)の直販店でもあるが、ミードだけでなくセレストロン、高橋、ビクセンなどの望遠鏡が所狭しと置かれ、またはやりの冷却CCDやデジタルプリント機がおかれていた。アメリカンサイズの大口径接眼レンズなど小物もあって、ついぐらっと・・・、あぶないあぶない;)。
知り合い二人は朝早くに来て、現品限りの超特価品を狙っていたのですが、ちょっと手違いがあって、ひとりが狙っていた冷却CCDオートガイダーが手に入らずむくれていた。結局がまんできずに新品を買っていたが。もうひとりは宮城蔵王から長期出張で手伝いに来ていた人で、空の暗いかの地で星を見るためはじめての望遠鏡を買いに来たのであった。結局こちらはセレストロン20cmシュミットカセグレン+ビクセン赤道儀を99800円で買った。これにテレビューの広視野接眼レンズ(25mm、15mm)などを選んだのは僕のアドバイスでもあった。うーん、これはいい買い物だ。なんだか自分のことのようにうれしい。
望遠鏡は言わずと知れた光学機器の最古参であるが、なぜか誕生直後には星の観察に使われている。光学機器も数々あるが天体望遠鏡程実用的でない機械も珍しい。使用目的だって星を見るだけである。顕微鏡みたいに医学に役立つわけでなく、カメラのように報道や芸術に寄与することもない。測量機のように家を立てたり自然破壊することもない。ましてや今の光学機器の最先端、半導体、液晶露光装置や検査装置のような実用一辺倒の機械とは全く違う。でも、ハワイのすばる望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡はまさしく現代の最先端光学機器だ。
天体望遠鏡との出合いは、今いる会社に入ろうと思った原点だった。さらには、カメラを買って写真を撮ろうと思ったのも、星が原点だった。
奇しくも?1999年7月からこのホームページを公開するわけですが、これから始める時に、原点というのはなかなかいい表題でしょ?かつて写真部の展示会も原点という表題でした。
では、これからよろしく。
1999年6月30日
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